産業安全運動100年記念事業実施計画

 

産業安全運動100年記念事業の趣旨

 

1900年代初頭のアメリカの産業界で提唱されていた「セーフティ・ファースト」の運動に感銘を受けた古河鉱業足尾鉱業所所長の小田川全之(おだがわ まさゆき)氏は、1912年(大正元年)、「安全専一あんぜんせんいち)」と名付けた標示板を坑内外に掲示し、従業員の安全意識の高揚を図るなど同鉱業所をあげて安全活動を始めました。これが、わが国産業界における自主的な安全運動の創始と考えられます。
以降、安全運動は東京電気の蒲生俊文(がもう としぶみ)氏、住友伸銅所の三村起一(みむら きいち)氏ら先駆者により積極的な取り組みが進められ、1919年(大正8年)には、産業界、官庁、学校などが協力して「安全週間」が東京を中心に開催されました。
戦後は経済復興とともに、多くの事業主団体で安全衛生活動が展開されましたが、高度経済成長期には大きな災害が多発するようになりました。このため、改めて労働災害防止活動の重要性が見直され、1964年(昭和39年)に労働災害防止団体等に関する法律が制定されるとともに、1972年(昭和47年)に労働災害防止の総合立法である労働安全衛生法が制定されました。これらを契機とした事業主団体や各企業の長年の努力により、労働災害は長期的には減少傾向となっていますが、現在でも年間約54万人が被災しており、1000人を超える尊い命が失われています。
そこで、安全運動の創始の年から数えてちょうど100年目に当たる2011年(平成23年)を中心に、関係団体及び企業・事業場が一丸となって、広報・啓発事業や各種記念イベントを展開する「産業安全運動100年記念事業」を実施することとしました。 この記念事業は、経営トップから現場で働く人すべてが先人の安全にかけた思いと活動を振り返るとともに、これからの安全衛生活動のあり方を熟考することにより、安全衛生意識の一層の向上と安全衛生活動のさらなる進展を目指すことを目的に2010年(平成22年)10月から2011年(平成23年)12月まで実施されました。
産業安全運動100年記念事業実行委員会 
代表 米倉 弘昌 
(社団法人 日本経済団体連合会 会長)

 

スローガン

 

『安全専一』から100年 未来へつなごう安全の心

 

このスローガンは、『安全専一』から始まり、100年を迎える安全運動の大切さを未来へつなげていこうという気持ちを表現したものです。

 

 

ロゴ

 

ロゴロゴマークは、産業安全運動の理念が過去から現在、現在から未来への架け橋として引き継がれていく様子を象徴的に表現しています。セーフティカラーの深緑にグラデーションを施すことで奥行きが生まれ、産業安全運動が記念の2011年から先も確実に継承されていく様を象徴しています。

全ての働く人々に安全・健康を 〜Safe Work , Safe Life〜

中央労働災害防止協会
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