解説
蒲生俊文
蒲生俊文(がもう としぶみ)
蒲生俊文は東京帝国大学卒業後、東京電気(現、東芝)に就職。庶務課長をしていた大正3年のある日、悲惨な感電事故の現場を目撃したことをきっかけに、生涯を安全運動に捧げた。大正6年に内田嘉吉らとともに安全第一協会を設立し、大正13年東京電気を辞して以降は、わが国の安全運動の中心的存在となって活躍した。
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