解説
小田川全之
小田川全之(おだがわ まさゆき)
小田川全之は工部大学校土木工学科卒業後、土木工事や民間鉄道工事等に従事した後、古河家に入り、足尾銅山での土木工事や鉱毒対策に取り組んだ。
アメリカの銅採鉱・製錬技術を学びに渡米した小田川全之は、ひとつの「おみやげ」を持ち帰った。「安全専一」である。
大正元年、古河鉱業足尾鉱業所の所長となった小田川は、アメリカで提唱されていた「セーフティ・ファースト」を「安全専一」と訳した標示板を作り、これを坑内外に掲げ、わが国の事業場で初めて安全運動を始めたのである。
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