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「溶剤が私の人生を切り裂いた」

資料出所:フィンランド労働衛生研究所(FIOH)発行
Work Health Safety 2002」 p.19
(訳 国際安全衛生センター)


溶剤のせいで、もとイス布張り職人のイント・ランデンの人生は悪夢と化した。強力な洗浄剤に何年もさらされていると、恒久的な記憶障害と慢性的不安神経症にさいなまれることになるとは、思いもよらなかった。溶剤にさらされた労働者の多くは抑うつ感に悩まされるが、イントはあくまで闘い続けている。

「記憶力と集中力が不可欠な社会でそれなしで生活するのがどういうことか、想像もできないだろうね。銀行預金から世間づきあいまで、コンピューターを利用せずには何もできないんだ。単純なことさえ覚えられなくなると、不安に襲われ、頭が混乱する。のけ者にされてるって感じるんだよ」とイントはいう。

溶剤への長期の暴露による症状のなかでも、記憶障害は深刻だ。イントのような患者の多くは普通の会話に困難を覚える。言葉を忘れ、思考の流れが途絶えてしまうこともしばしばである。人づきあいがむずかしくなる。話したことをしょっちゅう確認していなければならないからだ。イントの場合、キャッシュカードの暗証番号を覚えておくのが大きな苦労だ。

「何年も自分は53歳だと思っていた。妻が繰り返し思い出させてくれて、ようやく本当は57歳だったと納得できたんだ」

イントは親のイス布張り業を継いだ。家業に加わったのは1970年代で、それまでは自動車修理工として12年間働いていた。そのときにキャブレターの洗浄剤であるトリクロルエチレンに大量に暴露した。

イントは、父のイス布張りの店を手伝い始めてからも自動車にかかわる作業を続けた。その店はタクシー、救急車、バスなど、特別仕様車の内装を専門にしていた。

発病してから、イントの人生はがらりと変わった。突然に不安感に襲われたり、自己破壊的な衝動に駆られるようになった。デパートでのショッピングは悪夢となった。すべての商品棚がぐるぐる回り始めるのだ。晴天の日のドライブは、強い日差しが木々の間から差し込んで耐えられなかった。臭気にも過敏になった。どうと云うことのない匂いにさえ圧倒された。

今までは楽しかったことが、どれも神経にさわるようになった。大好きな雑誌もわずらわしくなった。昔は熱狂的なエルビス・ファンだったのに、今では彼の古いレコードでさえカンにさわる。ひいきのアイスホッケー・チームの試合を観ていても、勝敗はどうでもよくなった。

「私は感情の面で完全に混乱状態に陥った。今まで大好きだったことが、突然、不安の種になった。溶剤は私の人生を切り裂いたんだ」というイントは、溶剤に起因する脳の障害を治療するために仕事をやめた。