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労働災害防止の起源と発達について

中災防内部資料より



19世紀初期、産業と工場システムの発達により、労働者の安全衛生を守るための法律に対する必要性が生まれました。

初期の基準は、女性や児童を守るためのものでした。

1893年6月12日の法律により、すべての産業分野とすべてのカテゴリーの従業員を守るためのものへと普及していきました。

その後、労働法は発達し続け(フランス労働基準1900-1912)、この法律の草案の作成責任をもつ労働省と産業衛生委員会が設立 されました。

1913年7月10日に公布された法律により、基準は労働安全衛生、職場における火災防止などにも対応するようになりました。 (これら労働基準法に取り入れられた基準の中には現在も行使されているものがあります。)技術的な進歩や製造工程の発達により、一連の技術的な規則が制定されました。

1939年に初めて、「危険」と見なされる機械の製造業者、販売者、採用者に対する新しい義務が示された草案が作成されました。規制に関するフレームワークが発達すると同時に、安全衛生に関する組織が企業の中に設立されるようになりました。

1947年に安全衛生委員会(Comités d'hygiène et de sécurité - CHS)が、企業の予防活動に 従業員を関与させるために設立されました。(これらの組織は1928年のILO の助言により設立された“安全委員会”に代わりました。)−−労働衛生に関するサービスは、1946年に強制的なものになりました。



補償システムの発達について


19世紀の終わりまで、労働災害の補償に関する事業者と従業員の関係は、一般的な法律で管理されていました。 これは、フランスの市民法で定められた責任の原則を適用するものでした。その中で、従業員が補償を受けるためには、 従業員が事業者側の過失を立証し、またこの過失を受けた損害と関係付ける必要がありました。

1898年4月9日の法律で、職場内で起こった事故に対しては、事業者が自動的に民事責任を負うことが定められました。 この責任の根拠は、「職業上のリスク」という概念でした。補償金は一括支払という形式をとり、受けた損害の一部のみを賄われる ものでした。

これらの規定は1919年に特定の労働災害に広げられました。この法律は、事業者が民間の保険に入るという結果を もたらしました。

1945年には、“従業者やその家族を、労働能力を損なったり失う可能性のあるすべての災害から守る”という目的を持つ社会保障 システムの設立となりました。その後、産業上の事故に対する補償は、システムの不可欠な一部となりました。

1898年の法律は、労働災害の危険の管理に対する責任を社会保障基金に移し、防止策に主眼を置いた1946年10月30日の法律によって 廃止されました。

新たな取り決めのもと、事業者は、事故の回数とその深刻度に応じた損害料率に基づいたタリフシステムが 設定されて、産業事故保険を管理する責任を持たされるようになりました。社会保障一般計画で労働災害を対象として組み込んだことに続き、事業者が防止策を重要視することを奨励する手続きが導入 されました。



労働条件−安全性の組み込み


1960年代から、従業員はますます彼らの要求事項の中に、自分の労働条件(労働のペースや労働組織、慰労など)に関することを 含めるようになってきました。

1973年の労働条件の改善に関する法律では、その目的を達成するために国立機関(国立労働条件改善機関−ANACT)を設立すること になりました。

1976年12月6日の労務上の安全に関する法律では、職場、機械や設備、製品、作業手順などを設計段階から考慮に入れるために、 それまでのすべての作業、議論や要求事項を反映させました。

この“安全性の組み込み”という概念は、市場に出す前に、従業員に対して安全性の訓練を義務づけたり、新しいものや機器の 管理を義務づけるための新しい規定を導入しました。




給与労働者の役割の広がり


1982年、企業内での従業員代表委員会の役割が広げられることとなった4の法律が施行されました。

1982年の8月4日の法律によって従業員は、組織や自分の労働の内容に関して直接的に、更に合同で陳情する権利を得ることと なりました。

1982年の12月23日の法律で安全衛生委員会の活動は、労働条件もカバーするよう再編成されました。 新たな安全衛生労働条件委員会(CHSCT)は解雇、人員削減などに対抗する訓練と保護に関し新たな責任が与えられました。 また、同法では、従業員が重大かつ切迫した危険を引き起こすとされる労働条件から直ちに撤退することが可能となりました。




ヨーロッパの中での調整


ヨーロッパ連合の中での国境撤廃は、2つの分野で法律の調整を行うこととなりました。

−経済(ヨーロッパ連合に関する取り決め条項100Aの適用):関税や専門の障壁なく商品(製品同様、機械装置や装具など)や機械の自由な流通を確保する。

−社会(取り決め条項118Aの適用):メンバーである国は、従業員の衛生と安全に関し特に労働条件の改善に努め、その改善が成し遂げられる間、目的である地方内で条件の調整を行うように注意を払わなくてはならない。

結果として、EC委員会の専門家とメンバー諸国の代表により多くの指令が作成されました。

−その中には機械装置や機器などの設計または市場に出される前の製品に関係があるものがいくつかあります。(製品の自由な流通のための障壁の撤廃)それらは、“総”指令と呼ばれ、各国は追加や省略を行わずに各法律に取り入れる義務を負います。

−企業での労働条件以外の取り決め:職場内の設計やレイアウト、危険な物質、機械装置や機器の使用、安全性に関する組織。これらの指令は職場における衛生と安全に関する最低限の要件を設定し、すべての国はこれを遵守しなければなりません。しかし、各国はそれぞれの法律規定の中で、これより高い保護基準を設定するために、この指令に追加、変更を加えることは許可されています。

1989年6月12日のフレームワーク指令No.89/391は、詳細は特定の指令に委ねたまま、職場での衛生と安全を改善するための基準を規定しました。13の指令が現在までに採用され、ほとんどがフランスの法律に取り入れられています。

フランスの労働省は、このフレームワーク指令が「今後はヨーロッパの安全性に関する中心的な役割を果たす」と述べています。(労働条件に関する1992年のCSPRP、業務危険防止上級審議会に提出されたレポート)

1991年12月31日の法律No.91-1414はフランスの法律に採用され、管理者に災害防止の一般原理(労働法のL. 230-2条で始まった)と、リスクアセスメントに基づいた全般的な災害防止の方法を開発、実行することを要求しています。



法律原理の指導


新たな産業工程、知識を増大、特定の災害の出現や消滅に対応して、法律は常に変化して参りました。

それにも関わらず、現在のアプローチの一部として未だに採用されている原理もあります。


●職場、設備、製品に関連した措置

危険な場所の隔離

最初の規定は特定のグループ(児童の保護)に適用されたにも関わらず、19世紀の終わりには工場の管理者が、職場や機械に関して法的要件の対象となるようになりました。集合的な保護は、個人の保護よりも優先されます。従業員はスクリーンや機械の覆い、バリアなどの保護装置により危険な区域から遠ざけられるようになりました。

機器と製品の設計

防止とは本来、従業員を安全な環境に置くことを意味します。言い換えれば、危険な状況を避けるということになります。管理手順、器具や機械の設計、設備や製品の選択に関する技術的な改善を行うことで、できる限り、更に上位の保護措置を導入しなければならないことは明らかです。

今世紀の初頭には、特別に危険な製品(黄燐や絵の具等の白鉛など)の多くは使用禁止となりました。

特定の機械の使用中に安全を確保することは難しいため、その設計段階から法律で管理することになりました。 1939年の法律で、機器の製造者、販売者、採用者に責任が課されました。事業者と従業員の関係を取りしまる労働法がはじめて、第三者に責任を課することになったのです。

安全性の組み込み

最初の規制から始まった製造工程のできるだけ早い段階でシステムに安全性を組み込むべきであるという考え方は、 1976年12月6日の法律でさらに前進しました。

多くのレベルに影響が出ました。

設計の構築

1976年12月6日の法律に基づく規則では、特に照明や換気、騒音調節、空気の循環など、産業、商業、農業の職場の設計やレイアウトなど、建物所有者が守らなければならない規則を制定しています。

メンテナンス時や、清掃、修理中の際に安全性を向上させるために、1993年12月31日の法律No. 93-1418で、建築物所有者にその後の仕事を促進させるための建物内のすべての情報を記載した報告書を作成する、建築物の衛生と安全を調整する人を置くことを義務づけています。

作業用機器の設計

1981年以降、フランス市場に持ち込まれる全ての機械は、特定の安全性の条件を満たすことが義務づけられました。考えられる危険の度合いに応じて、市場に出す前に予備検査を実施するか、製造者の証明書を取得することが必要となりました。(自己証明手続き)

1989年のEU指令はこれらの原則を採用し、対象を作業用の機器や人体を保護するための機器に広げました。この指令「必須の安全条件」を設定することによる技術的な調整に対する「新しいアプローチ」と呼ばれるものを適用する一方で、これらの要件を満たす技術的な仕様を判断するための基準を設けるものです。

物質の規制

1976年12月6日の法律以前は、化学物質は市場に出るまで使用禁止することができませんでした。この法律の規定では、製造者や輸入者、販売者は承認組織に対して新しい物質の詳細を報告することが義務づけられました。 EU指令はこの義務をすべての危険物質に適用し、欧州共同体のすべてのメンバー国でまだ発表されていないものに対しても適用することにしました。

限界値の制定

フランスの法律では初めから、事業者に一定の結果を出すよう要求することで、肉体的、化学的な危険(騒音やほこり、ガスなど)からの保護の提供を始めていました。従って、労働法L. 233-1(もとは1893年6月13日の法律)では、事業者はどのような技術的手順が行われたかを示したり、人体がそれにさらされる限界(暴露限界)を指定する必要なく従業員の安全を確保するための設備を備えることが必要条件になりました。

“暴露限界値”や“平均暴露限界値”の概念は、ベンゼンに関する1973年11月9日のILO会議No.136の規則で、採用されています。

その後、指令による限界値(通常の監視が伴う)と基準レベルのリストはフランスの法律で通常の定義となっています。

これらの職場での労働者の健康に重点を置いて作られた法律は、騒音、アスベスト、鉛などといった問題を対象としたヨーロッパの指令をもとにしたものです。これらは知識の進歩を考慮に入れて定期的に改訂されています。


●労務組織に関する措置

労働法では事業者に対し、作業が組み立てられている方法(業務のシフト制採用に関する制限、危険な化学物質にさらす従業員の数に関わる制限、外部企業が別の場所で作業を行う時の組織と調整方法など)を考慮に入れておくよう要求しています。

1993年12月31日の建築、民間エンジニアリングの現場に関するNo.93-1418法律では、関与しているすべての組織の衛生及び安全を調整することを規定しています。


●.特定のグループに関する措置

女性、若年者、一時雇用者など、従業員の中で特定の傷つきやすいグループを保護するための特別な法律があります。

特定の法律の他に、特定の製品を扱ったり、特定のストレスにさらされる従業員に対して特別な医療的監視を規定するものもあります。


●労働災害防止における従業員の関与に関する措置

情報

通知義務

知らないことが原因で事故が起こる可能性があるため、従業員は特定のプラント、製品、機器に存在する危険について知らされていることが必要であることが明らかになってきました。初期の規則では、指示や法律からの抜粋が表示されることが規定されていました。

危険な化学物質にラベルを貼る

この方法は、従業員に対して化学物質に伴う危険を通知し、注意を与えます。

新しい条件

EU指令に基づいた最近の法律では、衛生、安全、労働条件に関する委員会や関係する従業員に対し、危険や防止策、大気・生物学的モニタリング結果について報告し、個々の従業員にその試験結果を閲覧する権利を与えることが義務づけられています。

従業員の訓練

1976年12月6日の法律によって、事業者が“実用的で適切な”安全性に関する訓練を行うことが義務づけられました。この訓練は産業医と衛生、安全、労働条件に関する委員会と共同で行われます。これは、衛生、安全、労働条件に関する委員会に提出される年間災害防止プログラムの一部で、その企業の社会的実績にも含まれます。

この法律の主要な面も、EU指令の中に見られます。労働者の基本的な社会的権利を示したコミュニティーチャーターでは、「起こる可能性のある危険とそれらを排除または減少させるために採用する措置に関する訓練、情報、コンサルテーションならびにバランスのとれた労働者の参加が必要」と述べられています。

フランスでは、この政策に対する責任は国家権力、社会保障システムと雇用者、従業員の代表者が分担しています。一般的な企業の経営方針の中に、労働災害防止の考え方を組み込むことを目的としています。