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リスク低減の適正なレベルについて

フェリックス・レドミル
ロンドン(イギリス)


資料出所:「Journal of System Safety」2000年第1巻
(訳 国際安全衛生センター)

(国際安全衛生センター注)
今年の全国安全週間のスローガンは「災害ゼロから危険ゼロへ みんなで築こう安全文化」でした。リスクマネジメントはこのスローガンに関係が深いトピックの一つです。職場に潜むリスクを減らすことがこれからの安全管理の重要な目標となると思われます。リスクはどこまで減らすことができるのか、その際に検討すべきファクターは何か、この記事はその考え方の参考に供します。

われわれは、物事を安全か、安全でないかで判断してきた。したがって「どうすれば安全な状態にできるか」という形で問題を考えることが多かった。しかし今や、安全とは、それほど簡単な概念ではないことが分かってきた。安全とは二元的ではなく、多元的な性格をもち、その多元性はそのままリスクの範囲に照応する。したがって問題は「どれほど安全ならば十分か」、または「どれだけリスクを低減させれば十分か」ということになる。


「したがって、われわれのリスクアセスメントは必ずしも客観的でもあるいは正確な結果を保証するものでもなく、むしろ多数の変動要因によって左右されるものである。」



数値は十分か


われわれは有用な結果を得る前提として、しばしば暗黙のうちにリスクは計測可能で、客観的に評価できるものと仮定する。しかしリスク評価は、評価方式によって、また集中力、技術、チームワーク、管理、判断といった人間的要素によって左右される。したがって、複数の評価担当者で結果も異なり、リスクについての問いに明確な答が出せなくなる。


そこで、評価結果にどの程度の差異があるかが問題になる。差異が小さければ、たいていの場合、われわれの測定は正確だと考えていいだろう。また、結果に注目する誰もが、正確だと考えることになる。しかし差異が大きい場合、そうした仮説は成り立たない。

実際には、評価に影響を与える要因が多数あるため、差異は大きくなる可能性がある。第1に、リスクのとらえ方は人によって大きく異なる。それぞれの背後にある文化、訓練、経験、信念などの要因と特性によって、求めるリスクの内容、リスクの求め方、リスクのとらえ方が、絶対的な意味でも、他のリスクに対する相対的な意味でも、異なってくる。また、判定を下すべき案件の見込みと結果に、われわれがどの程度の価値をみいだすかということも影響する。

したがって、われわれのリスク評価は客観的でも精密でもなく、むしろ多数の変動要因に依存するのである。そこで、リスク低減が十分かどうかの判定に影響を与えるいくつかの要因を検討しよう。



十分という場合、何に対して十分なのか


リスクを許容するのは、一定の利益を得るためである。したがって許容されるリスクは、予測される利益によって決定される。しかし有用性の基準を語る前に、そもそもリスク低減の水準をいかに決定すべきだろうか。リスクのある種の絶対値と比較すべきなのか。過去に許容した水準と比較すべきなのか。あるいは、たとえば将来に達成したいと考える目標値と比較すべきか。この場合、どの程度に近い将来の目標値なら、今の時点で許容できるのか。

別の場所で適用されている水準、または、いつかどこかで達成された水準を求める場合もあるだろう。現実的な人ならば、規制当局が許容する水準を探ろうとするかもしれない。

もちろん、そうした検討はすべて無意味であり、完璧に安全なシステムを作ることだけを考えるべきだという人もいる。しかし、これは時代遅れの幻想である。リスクをゼロにする選択肢はありえない。リスクと利益は常にトレード・オフの関係にあり、どのトレード・オフをとるかの選択になる。方針決定の過程とは、選択肢を理解し、それを決定する方法を探る試みなのである。



どの程度の費用を支出すべきか


リスクをどれだけ低減できるかは、われわれの努力だけでなく、予算によっても左右される。問題は予算の内容である。資金が無限にあれば、リスクは無限に低減できるかもしれないが、資金に限りがある場合、どの程度の支出が適切といえるか。過去に用意してきた資金の範囲にとどめるべきか。または、現在、支出できると思われる金額を考えるべきか。リスク低減のための「公正な」支出額を、良心の判断に任せるべきか。または、コストの最小化だけを考えるべきか。何らかの失敗をした場合に、世間の理解を得たいと考えるなら、世間が納得する支出額にすべきか。



どの程度で十分かを誰が決定するのか


十分といえるリスク低減の水準は、誰が決定するのか。利益を得る人か。あるいはリスクを負う人か(損失可能性のある人)。裁定を下す人か(規制当局)。または環境問題に関心をもつ人か。さらに、決定の過程で誰の判断を最優先すべきかも検討しなければならない。それは大企業の意見か。政府の意見か。一般国民の意見か(その場合、誰がそれを代表するのか)。

すべての関係者が同じ意見ならば苦労はないが、それはありえない。一当事者だけが、他のすべての関係者を無視して決定を下すのは適切でないとするなら、関係者全員が集まり、お互いの考えを理解し合うよう促すのが理想である。特定の状況のもとで、どのリスクを許容すべきかについて合意を得るのは、容易なことではない。とくに、すべての関係者が、予想される利益に同一の価値を与えていない場合はなおさらである。



判断はリスクの性格によって決まる


リスクの性格には多数の要素がある。たとえば、不確実性の水準はどの程度か、リスクは排除可能かという点がある。これらの点は、リスクのとらえ方、それが許容できるかの判断に大きな影響を与えうる。

機械などの技術的な案件では、問題発生の可能性と、その結果を、かなり正確に判断できるかもしれない。こうした案件では不確実性の水準は低い。また、事故が発生しても、それを修正して再発を防ぐ自信がもてる場合もあり、したがってリスクは排除可能といえる。しかし、遺伝子組み換え物質など、多くの科学的案件では、リスクの存在は間接的な証拠に基づいて推測することしかできない。この場合、不確実性の水準は高くなる。そして、いったん事故が発生すると、大惨事への発展が不可避と思われる場合もあり、このときはリスクの排除は不可能となる。

リスクに対する印象は、前者より後者の方が大きいのが普通である。倫理的な価値観が判定に影響してくる。場合によっては、リスクをゼロにしてはじめて、十分といえるケースもでてくる(予防原則)。しかし、リスクをゼロにすれば利益は得られない。われわれが進歩を望むなら、当初の問題に立ち返らざるをえない。



時間的要因を検討する


リスクのとらえ方と測定結果が、不確実性の水準に左右されるとするなら、それは時間によっても影響される。われわれの知識や信念は変化するため、知識量が過去より増えたと考えたり、逆に、以前に考えていたほど知識は多くなかったことに気づく場合もある。新しい情報が得られる、技術進歩により選択肢が増すといった可能性もあるし、価値観が変化するかもしれない。まったく新しい見解をもつ関係者が、新たに討論に加わることもある。したがって、リスクに対する判断も変わるのである。

リスクと資源、またはリスクと利益との間で、完璧に合理的なバランスが保たれているとみえても、時間がたてば、われわれにとって、また一般国民や裁判所にとって、矛盾していると思えるようになる可能性がある。裁判所がそう判断する際は、鋭い洞察に基づいている。とすれば、われわれの問い、証拠、決定過程を、将来的な見地から検証すべきだろうか。つまり「今、どう考えるか」ではなく「将来、どう考えるだろうか」と問題を立てるべきなのであろうか。



すべてをふまえたうえでの結論は


技術的な分野では、われわれはリスクを客観的で測定可能と考えがちである。しかし、技術部門では副次的とされる場合もある上述の変動要因は、対象とするリスクの種類、そのとらえ方、評価対象リスクに付与する価値に、影響を与える。また、一般国民と裁判所のリスクのとらえ方、リスク低減に向けたわれわれの努力に対する評価にも影響する。

「どの程度のリスクの低減なら十分か」という問いへの回答は、入手できる情報の客観的評価だけでなく、われわれの価値観、信念、問いへの回答を求める理由といった、主観的なものによって左右される。したがって絶対的な答を出すことは不可能であり、一定の状況のもとで、より望ましい選択肢を提示することしかできない。そのためには、この文章で指摘したような補足的な問いに答える必要がある。

もう一歩、原点に立ちかえると、「客観的」測定に対するわれわれの自信自体を再検討してみるべきである。

リスクにからむ決定は、技術者や科学者だけが行っているのではない。低レベル放射線、遺伝子組み換え物質、核廃棄物、地球温暖化、食品添加物など、政治的、一般的議論の対象になっている多くの問題は、すべてリスクをめぐる判断と信念にかかわる。

一般国民の議論には、われわれの評価結果が取り入れられるが、国民が常にそれを信頼していると考えるべきではない。われわれは国民に同調したり、批判して済ますわけにはいかない。調査によると、リスクのとらえ方と許容度は、その人の文化、思考方法に強く影響されるが、この点は技術者も同じである。人が違えば見方も変わる可能性が高く、そのどれも絶対に間違っているとはいえない。われわれの評価結果によって、一般国民がリスクを許容するようになることを望むなら、さまざまな「ソフト面の」要因を考慮に入れて結論をだすべきである。また、リスク情報への信頼を得るためには、それを適切に伝達することの重要性を理解しなければならない。



著者の紹介


フェリックス・レドミル
イギリス、ロンドン在住。講演、研修コースの運営、リスクマネジメント、プロジェクトマネジメント、品質向上に関するコンサルティング業務を行っている。
特に、安全・リスク・マネジメント分野に関する国際的なコンサルタントで、イギリスのセーフティ・クリティカル・システムズ・クラブの共同創設者である。多数の本の著作、編集にかかわり、第17回国際システム安全会議の表彰パーティーでスピーカーに指名された。