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リスクを恐れすぎていないか─ブレア首相の発言の波紋
Getting 'risk aversion' in proportion

資料出所:The RoSPA Occupational Safety & Health Journal
September 2005
(仮訳:国際安全衛生センター)


7月13日の上院における演説で、King's Health選出のHunt卿は、5月26日にブレア首相が行ったスピーチのフォローアップを行った。首相は、社会政策研究所(IPPR)に向けて行ったそのスピーチで、英国は「賠償を求めるカルチュア」を捨てて「良識によるカルチュア」を指向すべきだと述べていた。RoSPAの労働安全アドバイザーRoger Bibbingsが、これらのスピーチ及びそこで取り上げられた時間をめぐるその後の議論についてコメントする。

ブレア首相はそのスピーチで、わずかな危害に対しても訴訟を起こされることを考えて経営を行った場合、企業の競争力や社会全体が惨憺たることになると言われていることを強調した(例えば、修学旅行の引率を断る教師、衰弱した患者を抱え上げることを拒否する介護者など)。

同首相は、安全衛生法令がこれまで役に立ち、「賠償を求めるカルチュア」といわれているものは、ヨーロッパ式の非常に厳密なリスク管理を求める強い力から来ている都会的な作り事に過ぎないとした。

それにもかかわらず、首相はこれらの主張を政府の規制緩和題と結びつけて、現代の規制の多くが基本的に社会や企業に対し機会を制限するものであったこと、そしてこのことはますます競争が激しくなる世界において、現実の脅威となることを示唆した。実際、次のように述べた:「我々は、リスクを受け入れようとするインドや中国に対し、ビジネスの場で敗北してしまいます」。

この点までは私もまったく同感である。確かに、安全衛生の名の下に、業者が(むしろ規制側より)行き過ぎた助言を受けている例が多いのは残念ながら事実である。

しかしながら、問題は、インドと中国におけるリスク負担及び労働安全(そして交通安全)へのアプローチがひどいものであるということだ。両国における鉱業の安全の実態はぞっとするようなものだ。途上国は安全などをやっている余裕がない、将来の繁栄というゴールに達するには、防止できなかった災害や疾病の犠牲者の骨で舗装された道をたどっていくしか方法がないということが伝説になっている。

今日、どのように労働者を保護するかという情報は、世界中どこでもインターネット上でマウスをクリックすれば手に入れることが出来る。欠けているものは人権に対する敬意と、文明社会にふさわしい労働条件を整備しようとする政治的な意志である。実際、われわれ安全衛生に携わるものが、最近のG8討議の議題とすることに失敗したテーマが一つあるとすれば、それは途上国の災害が貧困の大きな原因となっていることである。

しかし、6月13日及びその後行われた議論に戻れば、RoSPAは単に危険だからというだけで物事を禁止しようとは言ってこなかった。私達は、「分別のある安全」の必要性にまったく賛成だし、安全やリスクに関する私たちのアプローチを示す15のポイントを次のウェブサイトに掲示してきた。
  (新しいウィンドウに表示しますhttp://www.rospa.com/aboutrospa/rospa_safetypoints.htm 参照)

私達は例えばリスクを過大に受け取って、子供の修学旅行の引率を断る教師に関するブレア首相の懸念には同意した。また、この種の無意味な「安全」の例が他にもたくさんあり、これを正す必要があることにも同意見であった。

しかしながら、私が強調したことは、政府がもっと大局的な観点に立ってリスクに対する恐怖の問題を過大に取り上げないようにしなければならない、ということであった。IPPRに対するスピーチでブレア首相は、「ハザードに対処するときは証拠を分析し、バランス感覚を持つよう努めなければならない」と語った。首相は何度か証拠に立脚したアプローチの重要さを強調し、次のように警告した:「私達は、風説を流布する者が、事実に基づかないで議論をすることを許してしまっています。」

私は、政府が「英国はあまりにリスクを恐れすぎている」というなら、そのことにこの同じアプローチを適用する必要があると思う。確かに安全に関する意思決定がお粗末な事例はある。リスク恐怖のエピソードは多数あり、火のないところに煙は立たないということから言えば、この問題に対して一応の証拠はある。しかし、それは英国社会がよりリスク回避的になりつつあって、安全衛生が国の元気を奪いつつあるということを意味するのだろうか?私はそうは思わない。

リスクと対策のバランスがどうしようもなく悪いという例はよく聞く。しかし、安全に関する決定を毎日行い、概ね正しくバランスを取っている大部分の人と企業についてはどうだろうか?もし私達が、証拠に基づいた政策立案の必要性を認めるとすれば、リスク恐怖問題の範囲、原因、及び結果は、エピソード(どんなに広く行き渡っていようが)などではなく、厳密な調査研究によって解明される必要がある。それであれば社会に深く浸透した傾向の証拠といえるだろう。

例えて言えば、不愉快な人種差別主義的行動を見て、英国が基本的に人種差別主義者の国である証拠だという人が多いというようなものだ。私は同意できない。世の中には悪意のある人種差別主義者がいくらかいるのは事実だが、私達の社会は概してかなり公正でバランスの取れたものであると思っている(もしそうではなかったら7月7日のロンドン同時多発爆弾テロの際は大規模な外国人排斥運動が起こっていただろう)。

政府がエピソードだけに基づいて重要な社会政策をスタートさせることは正当なこととはいえない。リスク恐怖が一般的な病弊であるのか、又は教師と修学旅行の例に見られるように特定の分野に存在するものかをはっきりさせるためには、一連の体系的な調査が必要である。

私の注意を引いたもう一つの問題は、「リスク恐怖」、「過剰規制」、「過保護国家」等に焦点を当てすぎることによって、政府は正当な安全衛生の足を引っ張ることにならないかということである。一企業であれ、英国の上場企業全体であれ、トップから発せられることが期待されているメッセージは、これまでは「まだ安全に関してなすべき重要な仕事がある」であった。

しかし、もしこれらが「安全衛生の世界はコントロール不能状態だ」に変わってしまったら、重大問題に対処するために現在促進されている、正当指導ベースの予防策に対する懐疑が増大するであろう。

例えば、HSCの現在の優先事項は次のようになっている:

  • 高所からの墜落・転落:はしご作業に関する禁止事項については、猛反対する人がいる。
  • すべり、つまずき:すべりを防ぐという目的にかなった作業靴を使用するようにというアドバイスを、あまりに立ち入りすぎだと思う人もいる。
  • 構内輸送の安全:バックによる事故を防止して構内輸送を安全にするためには一方通行がもっともよい方法だが、構内レイアウトの変更を伴うものは実施することが難しい。
  • 筋骨格系傷害:マニュアルハンドリングの訓練は無意味または不要と見られかねない。
  • ストレス:ストレスマネジメントの方策が、やる気のない従業員に迎合するものだと思われる恐れがある。

ブレア首相が全ての安全に関する規制を非難しているわけではないことは明らかであるが、同時にまた、「安全衛生の向上は、経営に寄与し、競争力も高める」というメッセージ(ブレア内閣の大臣で強く支持しているものもいる)は5月26日のスピーチではあまり触れられなかった。Philip Hunt卿はこのテーマに言及し、安全衛生に関する形式的業務や事務作業を削減すべきだと強調した(これにはRoSPAも大いに賛成である!)。一方では規制簡素化の家庭で、規定された防護の水準を如何にして維持していくかということについては何も言われていない。

議論の中ではわしが発言したもう一つの懸念は、「分別のある安全」について現在行われている議論において、最近30年間にHSEが努力して作り上げてきた、キーとなる安全やリスクの概念(下記)を、HSEが(或いは大臣たちが)殆ど、或いは全然使わなかったということである。例えば、

  • サイズウェル原子力発電所B号原子炉におけるALARP(as low as reasonably practicable、合理的に実施可能な範囲でのリスク低減)リスクマネジメント三角形
  • 一般公衆を対象としたリスク認識の全分野
  • リスクアセスメントに関するHSEの初めての部門間グループ(もっとも、最近このバトンは財務省に受け継がれて、初期の推進力はいくらか失われてしまったが)。

次のような用語と概念が、現在の議論を始めるにあたって使われていないという事実は、これらの重要な概念の枠組みがごまかされてしまったか、或いは忘れられてしまったのかもしれないという危険を示唆しているのかもしれない:
許容度、リスク対策手段の階層、正当化、リスク対費用の最適化、リスクの限界、予防の原則、徹底的な防御、リスク認知に影響する要因など。

Tunnicliffe卿が、HSEは「リスクを低減させ人々を保護する(Reducing Risks Protecting People)」(R2P2)の書き直しを考えているかどうかと質問したときに、Bill Callaghanは、それは大体において正しい内容だと思っているが、一般の人には理解しにくい内容なので、現在の議論には適切ではないかもしれないと答えた。

私が挙げた最後のポイントは、全体の議論が安全とリスクに関する教育を強化することの重要性に、もっとはっきり焦点を当てる必要があったということである。議論の仕方をみると、次のようなすべてのレベルで、効果的な安全とリスクに関する教育を促進することが緊急に必要であることがわかった:労働者、安全代表管理者、上級管理者、役員会メンバー、大学、ビジネススクール、教師、政治家、メディアの解説者、そして何より学校で(全体のカリキュラム内に一連のスパイラルとして安全とリスクを組み込む)。

安全教育は、HSEの「再活性化」戦略に対応して取り上げられた重要テーマであったが、この重要課題に割り当てられたもともと少ないHSEのリソースは、それ以来さらに減られたようである。より活発に、ハイレベルで、そして戦略的なアプローチを行う必要がある。

ブレア首相は5月26日のスピーチを次のように締めくくった:「私達は、他との兼ね合いでやっと確保している狭い安全の領域を完全に保証しようとして、すべての事故に対応することは出来ません。リスクは根絶できません。我々はリスクとともに生きなければならないのです。」

どのような新政策であっても、リスクをどれぐらい小さくするべきかについてコンセンサスが必要なのは明らかである。しかし例えば、毎年、英国で各種の事故で11,500の生命が失われていることによる人的、金銭的損失を減らそうという、我々が直面している課題が上のような発言によってごまかされてしまう危険があるのだ(世界規模での事故は言うまでもなく)。

自分自身で災害調査を行ったことのない多くの人にとっては、いかに大多数の事故が予防可能であるか、それも時には非常に簡単で費用対効果の高い方法でそれが出来るかを理解することが出来ないのである。

HSEはこの問題についての全国的な議論をスタートした。読者は 新しいウィンドウに表示しますhttp://www.hse.gov.uk/riskdebate/index.htm を見るか、またはHSEホームページから、"sensible health and safety"をクリックすることによって議論に参加できる。同時に、HSEは一般公衆を対象とした安全問題への対処について議論用文書の掲示もスタートさせた。
  ( 新しいウィンドウに表示しますhttp://www.hse.gov.uk/consult/disdocs/dde23.pdf )

編注)この記事の動きにより改定されたリスクマネジメント関連情報はHSEの下記サイトをご覧下さい。
新しいウィンドウに表示しますhttp://www.hse.gov.uk/risk/index.htm