労働安全衛生の歩み
資料出所:中災防 研修生レポート
マレーシアにおける労働安全衛生に関する法律は、1800年代後半及び1900年代初めにボイラーに関する法律制定がマレー連邦国
によって義務づけられて以来、長年にわたり多くの変化を受けて進歩してきた。
ボイラーの規制に始まり、1913年の機械法規及び1932年の機械法規で法律は機械の安全性に焦点をおき、
そして後に1953年機械政令の制定で労働者の安全と健康面に焦点をおいた。
しかしながら、顕著な出来事は、1967年に「工場・機械法(FMA)」が制定され、1970年にはマレー半島で義務づけられたことである。
FMAは産業上の安全及び“工場“と限定された労働現場での健康を害する危険を管理するために、詳細な規範規定を制定し、
産業上の安全及び健康の向上に多くの役割を果たした。
労働衛生への貢献としては、20世紀の始め英国が初めてゴム農場の労働者をマラリアに感染しないようにするために、
マラリアを管理する方法を導入した時に始まったと言える。
この開発に続いて、英国における労働衛生の実態が導入されるという進歩をとげ、わずかな修正が行われた。
この実施により、労働者はより健康になり、そしてゴム農場における生産高が増えるという結果により満足している、
というような利益を産業界にもたらした。
1958年にマラヤ連邦政府はILOに産業衛生の分野の専門家の6ヶ月間の派遣を要請した。
その要請の主な目的は、「機械規則(安全、健康、福祉)」を施行するのを監督することにより政府当局を補助することであった。
この法律は産業上の環境条件に関する技術的規範として、1956年に制定されたものである。
マレーシアにおける安全衛生の見直しは、もう一人のILOアドヴァイザーのA.E.Quinn氏により1967年に引き受けられた。
この見直しは、まず第一に機械監督部の組織、人材配置、及び機能について、そして利用できる規制の適性についてのものである。
工場及び機械類の監督者の数を増やすこと、労働安全及び健康事業を拡大すること、多くの産業を更に規制することを考慮する
ことも薦められている。
新しい工場及び機械法は1967年に議会を通過し可決され、そして責任当局の名称−機械部−が、「工場・機械部」と変更された。
この法律は、鉱山、土木事業、建設事業を含んだ工場を管理することを目的として、そこで働く人々の安全、健康および福祉に
関係する事情を尊重して制定され、1970年になってやっと効力を発するようになった。
しかしながら、FMAには欠点がある。商業活動における安全と健康の統合を進めるための要求や労働現場での安全及び健康の
管理組織の確立を求めることが欠けている。
それに加え、適用される範囲が製造業、建設業、鉱業及び採石部門のみと限定されており、それらは国内の全労働現場の約30%に
すぎない。
主要な問題は法律の規範が高いためで、産業界がそれらを理解するのは簡単ではなく、それゆえ、産業界は労働衛生を政府に
よって課せられた詳細な規則として考える傾向があった。
もし労働現場にもっと頻繁に監督官が訪れれば水準が改善されるのではないかという議論があった。
国内における職場の数を考えると、それは明らかに不可能である。
FMAにおけるこれらの欠点は80年代から始まった事故率の増加の主な原因の一つであると感じられた。
労働安全衛生法1994(OSHA)が1994年2月に導入されたのは主にこれらの理由によるものである。
OSHAを導入したことは、国内における労働安全衛生の法律上の枠組みと取り組み方についての明らかな発展と変化であった。
更に適用の範囲を実質的にはすべての労働部門に広げることに加えて、OSHAはそれぞれの労働現場または産業の独自性に合わせる
ために、また新しい技術開発の要求を満たすために他の規則には欠けていた柔軟性を取り入れている。
「工場・機械部」の名称もまた「安全衛生部」(DOSH)へと変更された。
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