Lennart Levi |
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カロリンスカ大学心身医学名誉教授、スウェーデン-ストックホルム) |
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ストレスは人生のスパイスか、死の接吻か? |
EU「職業性ストレスに関する手引き」
2001年10月25日からの3日間、「ストレスと鬱(Stress and Depression)」をテーマとする会議がブリュッセルで開催された。会議の案内の中でベルギーの議長が次のように問題提起している。
「ヨーロッパにおける疾病や障害の誘因のなかでストレス、不安、鬱が最も重要なものの一つになってきていることを示す兆候が現れている。これらの誘因が直接的、間接的に、個人や家族そして社会全体に与える社会経済的な影響力は強大である。社会のあらゆる分野で現状に対する認識を深めていく必要がある」
ストレスとは、戦闘や逃走、すなわち身体的な活動に際し、生体に準備をさせるために発現する「原始的な」反応といえよう。石器時代の人間がオオカミの群れに出会ったときに発生するストレスは妥当なものであった。しかし、現代の労働者が、交替制勤務やひどく単調で高度に細分化された仕事、あるいは高圧的でわがままな顧客といったものに何とか対応していこうとする際に発生するストレスは妥当とはいえないのである。こうしたストレスは不適応症状や病気を誘発してしまう。
健康や幸福感に対して仕事が与える影響は、プラスのもの(人生のスパイス)にもマイナスのもの(死の接吻)にもなりうる。仕事は人生に目標と意義をもたらす。仕事はわれわれの一日に、一週間に、一年に、そして人生に、しっかりした骨組みと内容を与えてくれる。仕事はわれわれにアイデンティティ、自尊心、周囲からの支援、そして物質的な報酬を提供してくれる。しかし、こうした望ましい状態は、仕事の要求が最適で(能力の限界というわけではない)、労働者が適度な自主性の行使を認められ、労働組織の「風土」が友好的で協力的な場合にはじめて実現する。このような理想的な環境で働くことができたら、そのとき仕事は、人生における健康増進の最も重要なファクターとなりうるのである。
ところが、労働環境がこれとは正反対だったら、仕事が(少なくとも長期的に見れば)健康障害をもたらし、その状態を悪化させたり、症状を誘発する原因になる。
発病にいたるメカニズムは以下のとおりである。
- 心理的反応(不安感、鬱、心気症、疎外感)
- 認知的反応(集中力、記憶力、新しい事物を習得する意欲、創造力、決断力が欠如
したり減退する)
- 行為的反応(薬物・アルコール・タバコの乱用、破壊的・自己破壊的な行動、セラピーやリハビリを求めたり受けたりすることへの抵抗)
- 生理学的反応(神経内分泌および免疫機能の不全)
職業性ストレスの原因とそれがもたらす結果はEU加盟15ケ国間で非常に似通っている。1億6千万の労働者のうち約半数以上が、「焦って仕事をしている」(56%)、「厳しい締切りの中で仕事をしている」(60%)と回答している。3分の1以上の人が仕事の決定権を有しておらず、40%が単調な仕事をしていると回答している。
このように職業性ストレスを誘発する刺激(「ストレッサー」)が、現在の健康障害の分布に何らかの影響を与えているようだ。全労働人口の15%は頭痛を、23%は肩や首の凝りを、23%は疲労を、28%は「ストレス」を、33%は腰痛を訴えている。また、ストレッサーは、命にかかわるような重病さえ引き起こすことがある(欧州財団、
2001)。
持続的な職業性ストレスは、抑鬱性障害(depressive disorder)の重要な決定因子である。抑鬱性障害は世界的にみた疾病負荷(disease
burden)の、上位四位に位置している。そして2020年までには、虚血性心疾患(ischaemic
heart disease)に次いで二位に浮上するものと予測されている(世界保健機関、
2001)。
EU加盟15ケ国では、抑鬱性障害やそれに関連するメンタルヘルス問題にかかる費用を平均でGNPの3%から4%(ILO、
2000)、年間総額でおよそ約2,650億ユーロに達すると推定している(1998)。
仕事による持続的なストレスが代謝症候群(metabolic syndrome)の重要な決定因子であることは十分考えられる(Folkow,
2001; Björntorp, 2001)。この症候群は、虚血性心疾患やII型糖尿病(diabetes
type 2) の罹病率に大きくかかわっている。
このように健康や疾病のあらゆる局面は、仕事による影響を受ける可能性がある。また、こうした影響は、労働環境を(実際は違うのに勝手に)危険と思い込んだり、とるに足らないからだの兆候を重病の症状と勘違いしてしまうような、感情的あるいは認知的誤解によって助長されてしまうのである。
これらはすべて、広範にわたる種類の心身の不調や疾病、幸福感の喪失、生産性の低下をひきおこしかねない。EUの「職業性ストレスに関する手引き」の中で詳細に検討されたのは、虚血性心疾患、脳卒中、がん、筋骨格系疾患や消化器疾患、不安や抑鬱性障害、事故、自殺などである。
実際のところ、私たちの誰もが危機に直面している。そして、誰でも限界点がある。
加えて、仕事の性質や状況など、めまぐるしいスピードで変化している。このことはわれわれが冒す、あるいは冒すであろうリスクを増大させている。ただし、変化の程度はまちまちで、危険度も人によって異なる。
このような増加するリスクの決定因子は、「タイプA(敵対的)行動パターン」である。その決定因子は、さまざまな状況に対処していく能力範囲が狭いこと、不遇な社会経済状態で生活や労働を営んでいること、社会的支援が欠如していることである。
他の決定因子としては、年齢(若年および高齢労働者)や、性別(ジェンダー)の問題と過剰な労働負荷の両方を抱えていること(例えば、シングルマザー)、そして障害がある。とくに危機に直面している人は、より危険な生活環境や労働状態にさらされがちである。それゆえ、高度の脆弱性と有害な環境への暴露は一致する傾向にある。
職業性ストレスへのアプローチには、次の4つのレベルがある。
アプローチの対象がどれであれ、状況は人によって左右され、関連する利害関係者の介入も受けることになる。
すべてのレベルで、職業性ストレスの誘因、ストレス反応、ストレス性の健康障害を特定する必要がある。そうするには次のようないくつかの理由がある。
- ストレスが、労働者にとっても、属している労働組織にとっても、また、社会にとっても問題であるため
- 職業性ストレスが増加傾向にあるため
- 「労働安全衛生に関するEUの枠組み指令(EU Framework Directive on Health
and Safety)(以下を参照のこと)下での法的義務であるため
- ストレスの原因と結果のほとんどは回避可能なものであり、労働市場の三つの当事者すべてが、自身の、そして相互の利益のために協働する事で調整可能になるため
EUの枠組み指令によれば、事業者は「就業上のあらゆる局面で労働者の労働安全衛生を確保する義務を有する」。防止に関する指令の原則には、「危険回避」、「危険因子の根絶」、「仕事の個人への適合化」が含まれる。その上、枠組み指令は、「包括的で首尾一貫した予防方針の推進」といった、事業者の義務についても言及している。欧州委員会が手引き(Levi、
2000)を発行したのは、そのような努力に対する根拠を付与するためであった。
各職場での監督や国レベル・地域レベルでの監視を基に考えると、職業性ストレスは、職務状況の改善(たとえば、従業員に権限を与えること、過負荷をかけたり閑職へ追いやったりするのを避けること)、社会的支援制度の改善、そして労働者を経営管理システム全体のなかで必要不可欠な要素とみなし、行った努力に見合うだけの報酬を提供することなどによって、予防あるいは中和されるべきである。もちろん、労働者の能力やニーズや適正な期待に沿うよう、物理的・化学的・心理社会的な環境を整えることも必要である。それらは、「高度の衛生保護を共同体全体の方針や活動の定義・実施において確保されるべきものとする」というEUの枠組み指令やアムステルダム条約(Treaty
of Amsterdam)の第152条に沿うかたちで行われる必要がある。
支援活動には、調査だけでなく、ビジネススクール、工学、医療科学、行動科学、社会科学などの大学のカリキュラムを組みなおしたり、労働監督官、労働衛生専門家、マネージャー、スーパーバイザーの養成・再教育のカリキュラムを調整したりすることも含まれる。
スウェーデンの議長の総括によると(ストックホルムの欧州理事会、2001)、(EUにおける)完全雇用の回復においては、求人数などの量的側面だけでなく、仕事の質的な向上にも焦点を絞っている。
障害者の雇用機会均等、男女の平等、仕事と私生活のよりよい調和を可能にする融通性のある働きやすい職場、生涯学習、労働安全衛生、労働生活における従業員の参画と多様性を認めることなど、すべての人びとにとって良好な職場環境を推進していけるように、あらゆる努力をしなくてはならない。
職業性ストレスや、その原因ともたらす影響を明らかにするために、われわれは自分自身の仕事の内容や労働状況、雇用条件、仕事上の人間関係、労働衛生、福利厚生、生産性などを厳しく評価する必要がある。EUの枠組み指令では、あらゆる利害関係者が評価しやすいように、チェックリストや質問事項をわかりやすくするための注釈が数多くつけられている。
労働市場における当事者たちに「靴ずれ」が起きている場所がわかれば、「足」にフィットするように「靴を調整する」ことができる、すなわち職場のストレスを誘発するような状況を改善するために行動を起こすことができるようになる。そして、そのほとんどがむしろシンプルな組織変革によって達成される。その例は以下のようなものである。
- 労働者が満足のいくような仕事ができるだけの十分な時間を設けること
- 労働者に明解な職務内容説明をおこなうこと
- 労働者に対して、仕事上の成果にみあう報酬を与えること
- 労働者の不満をはき出させ、それについて真剣かつ迅速に検討すること
- 労働者の責任と権限との調和をはかること
- 労働組織の目標や存在価値を明確にし、それを労働者自身の目標や価値として、できる限り共有してもらうこと
- 労働者が、仕事をコントロールし、自分の仕事が最終製品として完成することに誇りをもてるようにすること
- 職場における寛容、安全、公正を推進させること
- 身体を有害物に暴露させないようにすること
- 職場における健康促進活動の、失敗点、成功点を特定し、その原因と結果を明確化すること
- 労働環境や労働衛生の段階的な改善に向けて、その失敗事例・成功事例に学び、将来失敗を回避し、成功を促進していく方法を学ぶこと
企業レベルや国レベルで、労働市場における三つの当事者は、職業性ストレスや健康障害を予防するために、以下の点に留意しながら組織改革を検討すればよいだろう。
- 仕事の予定を組む…仕事とは無関係な要求や責任との衝突を避けるために、仕事の予定を組む。交替勤務のスケジュールは一定で、予測可能なものでなくてはならない。また、交替勤務は時の流れとともに進んでいくように予定を組む。(朝番→午後番→夜番という具合に)
- 参画と管理…労働者が、自分の仕事に影響を及ぼすような意思決定や行動に参加できるようにする。
- 仕事量…仕事の割り当ては、労働者の能力や素質に応じて行われるようにする。精神的あるいは肉体的に要求の多いハードな仕事の後は、回復するまでの余裕を見込むこと。
- 仕事内容…意義、刺激、達成感、スキルを活かせる機会を提供できるよう、仕事を組み立てる。
- 役割…役割や責任を明確に定義する。
- 人間関係…同僚間で、気持ちの面や関係をサポートしあったり助けあったりするような、チームワーク連帯の機会を設ける。
- 将来…雇用確保やキャリア開発への展望をもつ。すなわち、生涯学習やエンプロイアビリティ(就職・転職などができる能力)の向上を推進する。
仕事による有害なストレスを減らそうとする取り組みが、必ずしも複雑であったり、時間や法外な費用がかかったりするわけではない。最も常識的で現実的かつ低コストのアプローチとして、組織の内部統制(internal
control)が知られている。
これは自己調節のプロセスのことであり、利害関係者たちとの緊密な協働のもと実行される。例えば、社内の労働衛生サービスや労働監督官、あるいは産業看護師や公衆衛生看護師(occupational
or public health nurse)、ソーシャルワーカー、理学療法士、人事労務管理スタッフなどによってコーディネイトされる。
第一段階では、EUの枠組み指令にリストアップされている調査ツールを使用するなどして、職業性ストレッサーの発現、発生要因、健康に与える影響について、その発生範囲・発生率・重症度・傾向について明確化する。
第二段階では、そのような発現の特徴は仕事の内容や組織、労働条件を反映しているものとして、発見した結果との関連において分析する。それら(発現の特徴)は仕事上のストレスやそれに起因する健康障害を引き起こすのに「必然的」なものか、「十分」なものか、それとも「影響があるという程度」のものか。そして、改善可能なものか。そのような改善は、関連のある利害関係者たちにとって受容可能なものか。このようなことについて分析を加えるのである。
第三段階では、利害関係者が、職業性ストレスの予防、そして健康と生産性の向上を促進する目的で総合的な介入プランをデザインし、実行する。プラン実行の際には、トップダウン形式とボトムアップ形式のアプローチを併用することが望ましい。
そうした上で、そのような介入の短期的・長期的な成果を以下の観点から評価する必要がある。
- ストレッサーへの暴露
- ストレス反応
- 健康障害の発生範囲と発生率
- 健康の指標
- 商品やサービスを質と量の観点からみた生産性
- 経済的意味での費用と利潤
万一、その介入が何ら効果をあげなかったり、あるいは少しでもマイナス作用をうみだすものであれば、利害関係者は、何を、いつ、どのように、誰によって、誰のために行うべきなのか再考した方がよい。逆にその結果が概して良好なものであったなら、彼らは同様の流れでその取り組みを継続、拡充していった方がよい。簡単に言えば、体系的に「経験から学ぶ」ということになる。利害関係者がより長期的に観察を継続していけば、職場は「組織的学習」のサンプルとなっていくのである。
このように介入によって得ることのできる経験は、労働者にとって、あるいはストレス・健康・幸福感の面からだけでなく、労働組織の機能や成功にとっても、そして社会にとっても、概ね非常に建設的なものである。計画が実現すれば、関係する三者すべてにとって利益のある「win-win-win」の状況を創出することになるだろう。
今まで述べてきたことは、複雑で現実離れしているように感じられるであろうか。そんなことはない。すでに数多くの企業で実践されてきたことであり、かなりの成果をあげてきているのである。上述の原則は、EUの枠組み指令や、多くのEU加盟国で施行されている職場環境法のなかに組み込まれている。無論、実現するにはそれなりの時間と労力を要する。だが、決して不可能なことではない。そしてそれによって、費用効果も非常に良いものになるだろう。
どのようにしてはじめの一歩を踏み出すか。それは、EUの手引き読み、読んだことをあなたの国や職場に適用するために、具体的に動くことだ。まさに今がその時だ。労働者の仕事環境を改善し、健康を増進することはすなわち、あなた自身、あなたの会社、そしてあなたの国が生み出す成果、そして生産性の向上につながるのである。
参考
Björntorp, P. (2001年). 「Heart and Soul: Stress and the Metabolic
Syndrome(身も心も:ストレスと代謝症候群)」. 『Scand Cardiovasc J』、35:172-17.
European Foundation (2001年). 『Third European Survey on Working Conditions(労働条件に関する第3次欧州調査)』.
Dublin: European Foundation.
Folkow, B. (2001年). 「Mental Stress and its Importance for Cardiovascular
Disorders; Physiological Aspects, “from-mice-to-man”(心臓血管障害におけるメンタルヘルスの重要性:生理学的考察、『ねずみから人間まで』)」.
『Scand Cardiovasc J』、35:165-172.
ILO. (2000年). 「Mental Health in the Workplace(職場のメンタルヘルス)」.
Geneva: International Labour Office.
Levi, L and I. (2000年). 「Guidance on Work-Related Stress. Spice of Life,
or Kiss of Death?(「職業性ストレスに関する手引き-人生のスパイスか、死の接吻か?)」.
Luxembourg: European Commission. (英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語の対訳有り。下記アドレスのインターネットでダウンロード可能。):
http://www.europa.eu.int/comm/employment_social/h&s/publicat/pubintro_en.htm
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WHO (2001年) 『 World Health Report 2001(世界保健報告)』 Geneva: WHO
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