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NSC発行「Safety + Health」2001年1月号

コラム 


ワシントン・レビュー

エルゴノミクス基準の実際の費用

最終基準は公表されたばかりだが、OSHAにかかったコストに見合うだけの価値はあるだろうか。 パトリック・R・タイソン著。氏は、アトランタのコンスタンジー・ブルックス&スミス法律事務所の共同経営者で、以前は、OSHA長官代理であった。

さて、チャールズ・ジェフレスOSHA長官は、すると言っていたことを成し遂げた。エルゴノミクス最終基準を公表した。2000年11月13日付のフェデラル・レジスターに掲載された。2001年1月16日に発効するが、条項の大半は、数年間適用されない。

大勢の人が、公表されることはないだろうと言ってきたし、公表阻止運動は、OSHAの30年の歴史で、もっとも激烈な苦戦のひとつを代表するものである。

ごく最近、連邦議会で展開された論争は、その激しさを物語っている。議会は、新会計年度が始まる10月1日までに、省庁の予算配分に要する歳出予算法案をできるだけ多く処理しようとしていた。しかし、労働省、厚生・人的サービス省歳出予算法案が停滞したのは、エルゴノミクスが原因だった。問題を解決するため、交渉が重ねられた。10月1日までに法案が通過しなかったため、一連の短い「継続決議」が実施された。

(法案が可決しなければ、省庁は、閉業せねばならない。数年前、これで政治的な損害を被った共和党は、同様の事態を回避したかった。)

ようやく、エルゴノミクス最終基準を公表するということで交渉はまとまったが、新大統領に規則を見直す時間を与えるため、基準の施行は、2001年6月まで延期することとなった。交渉は、失敗に終わった。別の継続決議が出され、合意された。これは、11月14日までに、予算を労働省および厚生・人的サービス省に配分するというものであった。これまでには、次期大統領は選出されているだろうと考えてのことだ。しかし、ご承知のとおり、このような運びとはならなかった。

しかし、基準の実際のコストは、議会での政争などではない。また、使用者が基準を遵守する際の、ほんとうに遵守するならばだがが、費用を指すのでもない。そうではなくて、OSHA当局が被るコストについて、述べたい。

最初の代償は、OSHA人員の疲労困憊と失望である。エルゴノミクス規則作成を完了するために、実質的に他の法制化は保留された。規則作成に関しては、幹部の時間とエネルギーはすべて、エルゴノミクスに投じられた。

彼らは、消耗しきっている。短気になり、OSHA内部では互いに腹を立てている。大半の人々は、他のすべてのプロジェクトを犠牲にしてまでエルゴノミクスに注力するのは、間違いだと思っている。また、加速的スケジュールであったため、規則が間違いだらけで、乏しい政策決定に満ちたものとなったのではないかと懸念している。

当局にとって、政治的なコストがある。議会の継続決議は、11月14日で期限切れとなる一方、基準の公表は11月13日であったことは、ご記憶のとおり。OSHAが最終基準を先に進めたので、議会共和党が、ひどく憤慨しているのは間違いない。基準が公表されたからといって、単純に忘れてやろうとはしないだろう。

従来、OSHAがなすことについて、両党の支持といえるものが少なくともあった。しかし、エルゴノミクス以前にあった支持は、なくなったようだ。議会は、まだ、OSHA予算法案を通過させねばならない。今年度、当局にとって有利な予算法案が通過したからといっても、いつも次がある。OSHAを改変したり、権限を縮小する直接的な立法措置の可能性もある。

公衆の目に映る当局の評判という評価基準がある。これまで、OSHAは、とくに高い評判を得たことはない。エルゴノミクス基準や、これは妥当かどうか、家内労働についても、多くの批評に耐えてきた。もし、公衆の目に、エルゴノミクス最終基準はできそこない、もしくは、支持できないものと映れば------どう受けとめられるか判明するのは、時期尚早だが------、当局の評判は悪くなるばかりである。

最後に、OSHAと産業界との関係に対する代償がある。規制をめぐり、OHSAと産業界が、実際に協力した時期もあった。「相思相愛」ではないが、少なくとも相互に尊敬の念と信頼があった。これらのいく分かは失われたし、再構築するにはどのくらいかかるか、わからない。

OSHA自身にコストがかかるのは良いことだ、と考える人もいるだろう。どうしてそう考えるのか、私にはわかる。しかし、OSHAは、社会で重要な役割を担っている。この役割を担うのであれば、信用に足る、プロのやり方で担わねばならない。

エルゴノミクス最終基準が、このような役割を演じるのかどうか、私にはわからない。エルゴノミクス関連の障害は職場の深刻な問題であり、基準が必要だとは思う。私が問うのは、エルゴ基準の価値は、最終的に出来上がった形とここに到達するまでの方法で、それに見合うだけのものがあったのだろうか、ということである。