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NSC発行「Safety + Health」2001年6月号

遺伝子の時代
(The Genetic Age)

事業者と管理職は、遺伝子試験という名の法律、倫理、
そして医学に関する地雷原をどのようにして通り抜ければよいのか?

資料出所:National Safety Council (NSC)発行
「Safety + Health」2001年6月号 p.46-49
(訳 国際安全衛生センター)


2回連載の結論

エリザベス・アンバル

テキサス州フォートワース市のバーリントン・ノーザン・サンタフェ・レイルウェイ社は、同社の負傷した従業員に対する遺伝子試験の件で米国雇用機会均等委員会(EEOC)と2つの鉄道労働者組合により起こされた訴訟の和解に到ったのだが、遺伝子試験の賛否に関する倫理的な問題というパンドラの箱は今や開かれてしまった。

近年、雇用機会均等委員会と組合はそれぞれ、バーリントン・ノーザン社が労働者に対し実施していた、手根管症候群に対するものと思われる素因を判定するための遺伝子試験をやめさせるための訴訟を起こした。("Genetic Liability(「遺伝子的罹病性」)"2001年5月号30ページ参照。)委員会は、試験結果に基づく採用決定は、アメリカ障害者法に違反していると告発している。組合は、試験は従業員の理解も同意もなく行われたと訴えている。

両者の和解の一部として、バーリントン・ノーザンは、労働者に対する試験をやめ、試験を受けることを拒否した者に対して報復めいた措置はとらないと約束した。この鉄道会社はまた、委員会が差別に関する個別の告訴の調査を完了するまで、すべての血液サンプルと関連する文書類を保存することに同意した。組合との和解の結果、同社は影響を受ける個人の承諾を得てから、すべての試験結果および血液サンプルを廃棄することになっている。

乳ガンから腰痛まで、日ごとに疾病に対する遺伝子の関連性が見つかっていく中で、科学者と倫理学者は、遺伝子情報の事業場での取り扱い方などの問題に取り組むべきだと社会に求めている。科学は私たちの手に負えなくなっていると述べている者もある。

困難な問題、複雑な課題

テネシー州ナッシュビル市のヴァンダービルト大学の法学および小児科学の教授、および遺伝子学厚生政策センターの責任者として、エレン・ライト・クレイトンは、事業場における遺伝子情報について多くの考察を重ねてきた。

クレイトンは、最終的には科学によって、ある遺伝子セットを持つ人物が一定の作業環境で喘息を発病する可能性が2倍となり、あるいは別の人物が別の作業環境で、ある種の肝疾患にかかる可能性が3倍になるといったことを予測できるようになるかもしれないと語っている。しかし、クレイトンは、科学者がこのような改善された遺伝子試験を実現したとしても、この新しい試験は問題を複雑にするだろうとも言う。1個の遺伝子だけに強く結びついている疾病はほとんどない。多くの場合、複数の遺伝子間の相互作用が関わっており、環境的な要素も通常は疾病の進行に影響を与える。

「ある人が事業場の要因によって疾病を引き起こすかどうか確実にわかるような試験を手に入れることはできません」とクレイトンは語っている。「生物学的には、疾病を引き起こすような数多くの変異があるでしょう。ただ、ある程度リスクが高い状態に置いておかれそうになると、疑問の内容も『ではこの情報をどのように扱えばいいのだろうか』に変わってしまいます」

クレイトンは、この疑問について、事業場で遺伝子の危険因子が判明した場合、誰が費用を負担するのかという点がいまだ考慮されていないという。「誰かが自分にとっては危険で、多くの人にとってはそうでないような事業場で働くことにした場合、こうした人物が疾病を引き起こしたなら、事業者は支払いを引き受けるべきなのでしょうか?」

国際化学労働組合(ICWU)評議会の安全衛生局長であるマイケル・スプリンクラーが不安に思っているのは、事業場が遺伝子試験に頼り始め、もっと重要なもの、すなわち暴露を無視するようになるのではないかということである。スプリンクラーは、暴露、疾病、そして罹病性の間の複雑な関係について、はるかに多くの研究が必要であると言う。しかしどのような結果が出るにしても、疾病や疾患に対する遺伝子的な素因を持つ労働者を除外するよりは、暴露が少ない方が常に好ましい。

「このことでどのように暴露の問題に取り組むのかという疑問に対する答えが得られるまでは、このような試験を用いて、誰が仕事に向いていて、誰がそうでないのかということを誰が決めようと、結局多くの優秀な労働者を除外することになるでしょう」とスプリンクラーは語っている。「私は人々が遺伝子試験の奇跡のような救済策を待っている間に、暴露を制限しようという取り組みが棚上げになるのを見たくないのです」

スプリンクラーは、遺伝子試験や研究に異論を唱えたいと考えているわけではない。研究は、いつか労働者の保護に役立つかも知れないという。例えば科学者たちは、遺伝子の性質によって、一部の人々が他の人に比べて特定の治療が有効であることを発見している。

「職業性疾病に対するある治療法によって、人によっては恩恵を被るが、害がある場合もあるのに似たところがあるのです」と同氏は言う。こういう人々の遺伝子が、医師の必要としている情報を握っている場合もあり得る。

試験は常にマイナスというわけではない

遺伝子試験で得られた情報から生ずる個人のプライバシー等のこみいった問題にも関わらず、この複雑な倫理的および道徳的なジレンマに良い面があるだろうか? 企業が遺伝子試験を使用すれば、事業場での危険有害要因が労働者や求職者に対してどのような影響を与えるのかをより良く彼らに伝えることができるということが、ひとつの方向性としてあげられる。

アリゾナ州ツーソン市にあるブラッシュ・ウェルマン社のベリリウム・セラミックス工場では、通常の申請書式に書き込む以外の選択肢が求職者に与えられている。ここでは致死性となりかねない、衰弱性の肺疾患である慢性ベリリウム症の罹病性に関連する遺伝子マーカーの試験を受けることができる。

この疾病は、ベリリウム金属が肺に吸入されることにより発生する。症状としては、しつこい咳、呼吸困難、疲労、胸や関節の痛み、それに体重の減少がある。ベリリウムに暴露した人々は、暴露後数カ月から30年の範囲で、このような症状を示すようになる。

求職者が試験を受けることにした場合、米国内最大のベリリウム生産会社であるブラッシュ・ウェルマン社は、この試験の費用を負担し、結果をフィラデルフィア州ペンシルベニア大学の研究室に送る。試験を受ける求職者は、自分がグル69と呼ばれる遺伝子マーカーを持っているかどうかを知ることができる。

ブラッシュ・ウェルマン自体が、個人の試験結果を知ることはない。誰かが仕事の提供を断る、または受諾した場合に、試験結果が決定に影響を与えたかどうかは同社にはわからないようになっている。

「試験によって、自分がグル69を持っているかどうかを知ることができるということです」と同社の広報担当者であるパトリック・カーペンターは言う。「これは、何かができるかどうかを知るための次のレベルへ進むための取り組みなのです。仮に試験で陽性だと判定されたとしても、私たちにはそのことはわかりません」。同氏は、会社がベリリウムに対する暴露の低減に取り組んでいるとも述べている。

ただし、グル69についてのマーカーを持ち、ブラッシュ・ウェルマンから雇用提供を受けている人は、数値に目を向けるようになるだろう。ベリリウムに暴露した人の2%から10%でこの疾病の発症が見られるが、一部の業務では、割合が16%にも及ぶ。ベリリウムに関わる作業に携わる労働者のうち、グル69マーカーのキャリアは、キャリアでない人に比べて5倍の割合でベリリウム症にかかりやすい。ただし、マーカーを持つ人々の多くは、一度も発病していない。


一目でわかる特徴


遺伝子試験に伴う危険から、何か良いものが生まれるだろうか? これは事業者が注意深く考えるべき道徳、倫理、そして法律上の複雑な問題である。

キー・ポイント

  • 1個の遺伝子だけに結びついている疾病はほとんどないため、正確な試験の開発が難しい。
  • 遺伝子試験は常にマイナスというわけではない。事業者と求職者は、これを活用してその作業環境に関する判断を行うことができる。
  • より優れた遺伝子試験は、いつか疾病の予防あるいは治療に活用できるようになる可能性がある。
  • 試験を実施している企業はほとんどないが、遺伝子差別に対する恐れが広がっている。

さらなる情報

事業場における遺伝子の問題についてのより詳細な研究および議論については、以下のウェブサイトを参照。

  • 国立ヒトゲノム研究所(www.nhgri.nih.gov)は、倫理、法律、および社会的な意味合いに関するページ(www.nhgri.nih.gov/ELSI)を持っている。遺伝子用語集のページでは、遺伝子科学について、この分野の大家によるわかりやすいリアルオーディオのレッスンを聞くことができる。
  • 遺伝子連合(www.geneticalliance.org)は、遺伝子によって影響を受けた人々の健康的な生活を促進するために機能している組織である。
  • 米国法医学倫理学会(www.aslme.org)には、遺伝子およびヒトゲノムに関する出版物のページ(www.aslme.org/publications/indexes/genetics.html)がある。
  • エネルギー省ヒトゲノムプロジェクト情報(www.ornl.gov/hgmis)には、倫理、法律および社会に関する問題のページ(www.ornl.gov/hgmis/elsi/elsi.html)がある。
エリザベス・アグンヴァルは、『Safety + Health』の常連寄稿家である。

遺伝子試験と法律

議論は立法にまで波紋を広げている。現時点で、事業場または保険業界における遺伝子差別を禁じる3種類の法案が議会の採決待ちとなっている。ただし、このような法案は、それほど多くの関心を集めているわけではない。現在、22の州が事業場における何らかの遺伝子差別を禁じる法律を有しているが、それぞれの州で法律は異なる。

一方で雇用機会均等委員会は、事業場における遺伝子試験を放任するわけにはいかないという態度を明確にしている。

「一定の疾病にかかるような遺伝子素因を持つ人々をアメリカ障害者法(ADA)の枠内で取り扱うことができる、という立場を委員会が取るようになってから数年になります」と同委員会のADA制作部門の上級顧問弁護士であるシャロン・レナートは語っている。「バーリントン・ノーザン訴訟は、一部の個人を排除している事業者に対する警鐘となったと考えています。遺伝子試験に関するこのような見方は、まったく不適切なものです。こうした試験は、今日において個人が仕事をする能力について何も語ってはいないのです」

レナートは、遺伝子試験がさらに進歩して、個人が一定の症状になる上での罹病性を正確に示すものとなるには、まだ歳月がかかると考えている。同氏によれば、バーリントン・ノーザンが従業員に対して行った試験は、せいぜい推論の域を出ないものである。ただし、レナートは、従業員が進行性の疾病あるいは疾患について陽性であるという試験結果を得たとしても、アメリカ障害者法は、事業者が将来のリスクの可能性に基づいて従業員を解雇、またはその昇進を拒否することは認められないと語っている。

「ある人物が医学的な条件を備えていることに基づいて事業者が行動するに際しては、まずADAについて考える必要があります」とレナートは言う。

レナートは、ブラッシュ・ウェルマンがツーソンで実施しているパイロット・プログラムについてさえ懐疑的である。同氏は、ブラッシュ・ウェルマンが求職者に対してどのように情報を示しているのかと疑問に思っている。

「これはインフォームド・デシジョンに基づく決定なのでしょうか、それとも事業者が労働者候補に水を差そうとしているのでしょうか?」と同氏はたずねている。


事業場における遺伝子スクリーニングに関するガイドライン


イリノイ州アーリントン・ハイツの米国労働環境医学学会では、事業者による遺伝子試験に関する以下のガイドラインを勧告している。

  • 試験は自発的なものであり、インフォームド・コンセントおよび守秘性を伴わなければならない。
  • 十分な裏付けがない限り、このような試験は人間的な調査の一形態であり、適切な倫理的管理の対象となるものと認識する必要がある。
  • 前駆症状の、または予測的な試験の利用および解釈については、慎重を期すこと。
  • 実施する場合、遺伝子試験は常に適切な遺伝子カウンセリングを伴わなければならない。
  • 遺伝子特性が直接仕事の業績に影響を与えるか、またはスクリーニングでわかったこのような特性が、その特性がなければ許容される事業場での暴露後に、重大で、一貫性があり、かつ有害な結果をおこす素因を労働者に与えることが明らかでない限り、現在の従業員または求職者に対して遺伝子試験を実施してはならない。

立場に関する声明の全体は、www.acoem.orgで見ることができる。

視野に入りつつある、より優れた試験

弁護士、事業者および連邦政府と組合が法および政策の利点について議論している間も、科学者は過度の関心が寄せられている遺伝子試験を改善するための努力を行っている。

一部の医療専門家は、今後5年間で、遺伝子試験が発達遅滞の子供にみられる脆弱X染色体症候群(Fragile X syndorome)、膵臓の嚢胞性線維症(cystic fibrosis)、および乳ガンに関するルーチンとなると語っている。国立ヒトゲノム研究所の上級政策顧問であるバーバラ・フラーは、10年以内に、科学者がさらに10種類の疾病の遺伝子成分を定義するだろうと予測している。この研究所は、保健福祉省に属している。

ただし科学者たちは、いかなる状況においても労働者の遺伝子試験が禁じられれば、貴重な情報を失うことになると心配している。このような情報は、疾病の予防に活用できる。慢性ベリリウム症は、いつの日か労働者を保護するために遺伝子試験を利用しうると想像できる職業性疾病のひとつである。

デンバーの国立ユダヤ医学研究センターで、リサ・マイアーとその同僚は、なぜ一部の人々がベリリウムに反応し、他の人はそうではないのかについて理解するために研究を行っている。マイアーたちはグル69以外のマーカーを探すために、ベリリウム関係の仕事をしている、または仕事をしたことがある患者の遺伝子をマッピングしている。マイアーは、集められた情報は研究のみに使用されていると語っている。

ブラッシュ・ウェルマン社は、従業員候補者に関する試験結果を知ることがないため、マイアーは、ブラッシュ・ウェルマンのプログラムは倫理的であると考えている。しかし、その予測値が低いことから、グル69試験は完全とはほど遠い。マイアーとその同僚たちが、より優れた試験の開発に成功すれば、ブラッシュ・ウェルマンのような企業は、結果を知ることに関心を強める可能性がある。

「私は、どのように疾病が引き起こされるのかについての研究や理解にストップがかかることは考えたくもありませんが、私たちはどのようにこの研究を実践に移すのか、そして将来このような問題をどのように活用していくのかについて慎重になる必要があるとも思います」

大げさな話?

現時点では、一握りの企業のみが遺伝子試験を行っているが、全国でもっと多くの企業が検討を行っているのだろうか? 企業は、遺伝子情報に関する指針を定め、幅広い試験を行う計画を立てることによって、遺伝子の時代に備えているのだろうか?

そのようなことはまったくない、と事業者および保険会社を代表する組織は語っている。

「事業者がそのようなことをしているという一般大衆の恐れと、実際に行っている事業者の数の間には乖離があります。事業者は、このような情報を望んではいないのです。事業者は、これを法的な危険信号と考えているのです」とヴァージニア州アレクサンドリア市の人的資源管理協会の広報担当者であるエリザベス・オーウェンスは語っている。

同氏によれば、彼女の組織では事業者が従業員に対していかなる遺伝子試験を行うことも避けるようにと勧告しているという。遺伝子のせいで下層階級となるのではないかという一般大衆の恐れは、特に遺伝子試験と保険に関して現実となっている。

"American Journal of Human Genetics(アメリカ・ヒト遺伝子ジャーナル)"に掲載された研究(第66巻11号)によると、アンケートに回答した34の遺伝子カウンセラーおよび患者擁護グループの大部分が、健康保険会社による差別は幅広く、一般的であると考えている。

この研究を指導したノースカロライナ州ウィンストン・サーレムのウェイク・フォレスト大学のマーク・ホール教授は、その研究によって、自分が疾病に対する遺伝子マーカーを持っていることを事業主が知れば、失業することになるのではないかと恐れていることがわかったという。

「私は特に、自分の事業主が健康保険を剥奪することを人々が心配しているとは聞いていませんし、こんなことは明らかに違法です」とホールは語っている。「人々はむしろ、保険費用を負担しなくてもすむように、事業主が単に自分たちを首にしようとするのではないかと心配していました」。

ただしホールは、遺伝子試験を受けた人が、想定しうる遺伝子差別に直面することになるという一般的な恐れを裏付ける証拠はほとんど見つからなかったと語っている。

ヴァンダービルト大学のクレイトンは、異論を唱えている。「バーリントン・ノーザン社の事例は、これこそ私たちの考えるべきことであることを示していると思います」と彼女は言う。「このことは、事業者が何を知る権利があるのかという非常に幅広い議論の口火を切りました。これは行き過ぎたことでしょうか? たぶんそうではないでしょう。これは私たちが取り組むべきリスクでしょうか? 絶対にそうです」。

立法措置について


州レベル:現在22州で、事業場における遺伝子差別が禁じられており、37州で遺伝子情報および健康保険に関する法律が制定されている。

連邦レベル:上記以外で唯一の連邦における遺伝子試験訴訟は、カリフォルニア大学バークレー校が運営している連邦研究所であるバークレー研究所に関わるものである。この研究所は秘密裏に、鎌状細胞遺伝子(sickle cell gene)、および梅毒・妊娠に関する試験を数千人に及ぶ従業員に対して行っていた。従業員が訴訟を起こし、同研究所は1999年に220万ドルで和解した。クリントン大統領は昨年、連邦による雇用の一部として、遺伝子差別を禁じる大統領令に署名した。





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