このことばに聞き覚えがあれば、1962年に評判となった、全米安全評議会(NSC)の公益広告(PSA)「安全のためにシートベルトを締めよ(Buckle Up for Safety)」を思い出していただけるだろう。1950〜60年代、NSCは、広告協議会(Ad Council)などの団体と提携して、定期的に公益広告を創作した。1962年のキャンペーンと同様、その大半は交通安全問題に焦点を当てたものであった。
覚えやすいフレーズが調子よく響くなか、にこにこと陽気な一家は、旅行へ出発する際、シートベルトを締める。コマーシャルは、当時としては新しかった安全商品であるシートベルトの使用を奨励した。広告協議会は、これまでの公益広告のなかでもっとも効果的な作品であったと指摘する。
しかし、NSCが製作した公益広告でもっとも有名なもののなかには、ついに公表されることがなかったものがある。NSCは、しばしば有名人に対し、安全運転の映画広告に数分間の無料出演を依頼しており、1955年には、カリフォルニア州ハイウェイパトロールとNSCは、ジェームズ・ディーン氏に出演を依頼した。
ディーン氏の伝記作家ドナルド・スポット氏の1996年の著書「反抗(Rebel)」によれば、ワーナーブラザース映画会社の幹部は、ディーン氏に出演を無理強いした。それは、見え見えだった。「ジャイアンツ(Giant)」の映画セットで撮られた60秒のコマーシャルで、ディーン氏は、スピード運転や飲酒運転の危険性を無表情に語る。ディーン氏の不本意な態度は、それほど驚くことではない。氏は、レーシングの愛好家としても、運転歴の悪さもよく知られていたからである。ディーン氏は、カリフォルニア州に住んでいた間に、スピード違反で10数回も切符を切られたのである。
当時の有名な安全スローガンは、「あなたが救ういのちは、あなた自身のもの(The life you save may be your own)」だったが、ディーン氏は、インタビューの終わりに、カメラを見据え、微笑みながら、「無理しないで運転しよう。あなたが救ういのちは、おれのもの(Take it easy driving. The life you save may be mine.)」と言ったのだ。
数週間後、ジェームズ・ディーン氏は死んだ。1955年9月30日、新しいポルシェのスパイダーを運転していたディーン氏は、カリフォルニア州コーラム郊外の交差点で、フォードのセダンと衝突した。ディーン氏は、ほぼ即死。2時間前にスピード違反の切符を切られたばかりだった。
彼の死亡により、しかもその死に方にかんがみ、ジェームズ・ディーン氏出演の公益広告は放送されることがなかった。これは、ディーン氏が出演した最後のフィルムであった。 安全のリーダーであるNSCの創立90周年を記念して、本誌は、1年間を通じ、NSCの遺産のなかでも重要なものを紹介する。
毎月号の90周年記念の囲み記事で紹介する、NSCの安全第一の取り組みにまつわる話題に期待されたい。
テキサス州コーパスクリスティ − 休業データ研究所(Work Loss Data Institute)の労働者災害補償保険費用に関する新しい報告書によると、9州は及第、8州は落第、残りはその間にちらばる。
報告書は、OSHAの記録すべき全傷病を取り扱うOSHAの書式200(Form 200)の2000年データをもとに、6つの変数を用いて、各州の成績を算出した。変数とは、労災保険申請率、休業件数、就業不能期間の中央値、長期休業率(31日以上)、腰痛および手根管症候群である。コロラド、アイダホ、ミシシッピ、ニューハンプシャー、ノースダコタ、オハイオ、ペンシルバニア、サウスダコタ、ワイオミングの各州は、OSHAデータベースに参加していない。
報告書「労働者災害補償費用の州別成績表」の詳細は、www.disabilitydurations.com.で閲覧できる。