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ナノテクノロジーの安全衛生
−将来の技術の動向−

Nanotechnology The wave of the future?
ジェームス・G・パーカー副編集長

資料出所:National Safety Council (NSC)発行
「Safety+Health」2005年5月号p.30
(仮訳 国際安全衛生センター)



  必要は発明の母かもしれないが、安全管理の専門家にとっては、発明は新たな問題の祖父である。企業の経理担当者が新技術の商業的見込みに小躍りする一方、安全管理の専門家や労働衛生工学者は「次なる大物」が必然的にもたらす安全、衛生、環境の潜在的なリスクを特定し軽減しなければならない。
  2005年においては、その「次の重要技術」はナノテクノロジーである。「新技術によって労働安全衛生の新たなハザードが発生する。ナノテクノロジーも例外ではない。」と、2004年5月、ミズーリ州カンザスシティで行われたアメリカ労働衛生会議における発言でアメリカ国立労働安全衛生研究所(National Institute of Occupational Safety and Health: NIOSH)のディレクターであるジョン・ハワードは述べた。
  ナノテクノロジーとは何か?NIOSHの上席特別研究員アンドリュー・メイナードによれば、ナノ粒子とは、100ナノメーター以下のサイズまでに小さくされたあらゆる物質のことだという。参考までに記すと、人の赤血球の直径は約5,000ナノメーターである。ナノテクノロジーとは、分子あるいは原子レベルで物質を操作または製造することである。
  もしこの定義が漠然としたものに思えるのならば、それはこのナノテクノロジーが捉えどころのないものであるからだろうとメイナードは言う。理論的にはどのような物質の構成要素もそのサイズまで小さくすることが可能である。またそのサイズになると、物質は独特の性質を見せ始める。「ナノテクノロジー」の核心は、このような性質を研究、開発、利用することである。

ナノテクノロジーの及ぼす影響 

  NIOSHによれば、政府によるナノテクノロジーへの投資額は、全世界で97年の年間4億3千2百万ドルから2003年には30億ドルをやや下回る規模まで増大している。またナノテクノロジーが世界経済に与える影響は、2015年までには1兆ドルを超えると予想されている。米国労働省の2002年の調査は、アメリカ人労働者200万人が定期的にナノ粒子にばく露されていると推定している。また今後10年間で、増大する需要を満たすために全世界でさらに推定200万人の労働力がナノテクノロジー関連業界において必要になるとされている。
  2001年に、ナノテクノロジー産業初の業界団体であるシカゴに本部を置くナノビジネス・アライアンス(NanoBusiness Alliance)が発足した。同アライアンスのエグゼクティブ・ディレクターであるF・マーク・モッゼレウスキーは、米国上院の商業・科学・運輸委員会の席上で、「今日において、フォーチュン500社の中で何らかのナノテクノロジーへの取り組みを行っていない製造業の会社を見つけ出すことは、困難となるだろう」と述べた。
  メイナードによれば、新しい建築材料や医薬品などを含め、ナノ粒子の新たな応用が毎日相次いで現れている。数社の医薬品会社では、人体の特定の細胞に直接、薬物を送達するためにナノ素材を使用する可能性を探っている。
  ナノテクノロジーを利用して製造された以下のような市販品がすでに市場に出ている。

ナノテクノロジーの市販品
 ナノテクノロジーを利用して製造された以下のような市販品がすでに市場に出ている。
  金属切削工具
  火傷包帯、創傷包帯
車のバンパー
トラックの段差補助具
  自動車の触媒コンバータ
  眼鏡や車用の保護コーティングや反射軽減コーティング
  腐食、傷、放射線から保護するための塗料やコーティング
  汚れにくい衣服やマットレス
  インク
  歯科治療用結合剤
  日焼け止め剤や化粧品
  長寿命のテニスボール
  軽量、高強度のテニスラケット

  ナノテクノロジーの将来の影響について判断するのは困難だとメイナードは述べたが、潜在的な応用数の多さや利害関係者の関心のレベルを見ると、長期的に社会及び経済に与える影響は「かなり奥深い」ものとなりそうだ。その可能性は先進工業国だけでなく発展途上国にも期待できるものとなる、と同氏は述べた。
  「ナノテクノロジーは地域発電や水処理の新たな方法をもたらす可能性がある。これは世界の発展途上地域に多大な影響を与えることになるだろう」とメイナードは述べた。

ナノテクノロジーと安全衛生

  ナノテクノロジーの独特な性質が潜在的に多くの商業に応用される一方、安全管理の専門家にとってナノテクノロジーは深刻な問題を提起している。こうした物質が人体や環境にどのような影響を与えるのかといった問題である。
  このような問題に対する答えは主に3つの理由により必ずしも明確ではない。第一に、産業界や各国政府のこの分野における研究がここ数年においてようやく始まったばかりである、ということが挙げられる。完全な安全、健康及び環境への影響が明らかになるまでにはさらなる研究が必要であるというのが、この問題を調査している研究者の間での一致した意見となっている。例えば、ナノスケールまでに小さくされた金は異なった性質を持つようになり、従って人がばく露されるときにはおそらく人体へ異なる影響を与えるものとなるだろう。
  2つ目に挙げられるのは、ナノスケールまでに小さくすることのできる物質が極めて多岐にわたるという、単純な理由だ。ナノスケールでは物質はそれぞれ独自の性質を有することになる。人体に及ぼす影響は様々であり、また他の物質との相互の影響の仕方も異なってくるだろう。大きな粒子よりもナノ粒子へばく露されることがよりリスクが大きいのか、同じリスクなのか、あるいはリスクが小さいのか、研究者はいまだに確信していない。
  第3の理由は、メインナードが「大いなる問題」と呼ぶものだ。現在の我々の理解しているリスクの範疇にない環境や人体へのリスクがあるのではないか? 言い換えると、人体が様々な種類のナノ粒子とどのように影響し合うのかを理解するために十分な情報を科学者が持っていないということだ。ナノテクノロジーの利用が拡大するにつれて、新しい、これまでに聞いたことのない危険が顕在化してくる可能性があるのだ。
  しかし、現在分かっている情報をもとに、労働者がナノ粒子にばく露される可能性のある状況及びばく露の度合いの軽減や潜在リスクの最小化の方策について、研究者は一定の結論を出すことができている。米国においては、これらの問題への解決策を探るために、政府機関のコンソーシアム(共同事業体)が1990年代後半に、国家ナノテクノロジー戦略(National Nanotechnology Initiative: NNI)を立ち上げた。NNIに参加している政府機関にはNIOSH、EPA、(米国)国立衛生研究所(National Institutes of Health)、(米国)国立標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology)、(米国)エネルギー省(Department of Energy)、(米国)国防省(Department of Defense)が含まれている。
  2004年、NNIはナノ粒子の安全と健康に関する研究に1億6百万ドルを投入した。米国議会は、21世紀ナノテクノロジー研究開発法のなかで、2005年から2009年までの間に政府のナノテクノロジー研究として36億ドル以上もの予算を計上しこれを承認している。
  英国やEUを含め世界の他の多くの政府においてもナノテクノロジーに関する問題の調査を行っている。
  2004年、自発的合意基準の整備を行う非営利団体でワシントンに本部を置く米国規格協会(American National Standards Institute)が、ナノ粒子を使用する産業界向けの規格を整備するための会議を開催した。会議においては、ナノテクノロジーの緊急の課題は、専門用語、毒性の測定方法、リスク評価、環境影響のそれぞれの標準化及び関連データの分析方法の整備であると決定された。

ナノテクノロジーに対する今後の対応

  さらなる研究が必要とされるものの、これらの機関の取り組みによって一定の成果が出ている。NIOSHのディレクター、ハワードは2004年5月のスピーチにおいて、次のように述べた。「ここ数年の研究によって直径がナノメーターの粒子は塊として存在する大きな粒子よりも毒性が高いことが明らかになった。粒子の大きさ、独特な構造、及び独特な物理的、化学的性質が複合しているということが示唆するところは、ナノ粒子の製造と利用にあたっては、適切に労働者を保護するために相当量の注意を払う必要があるということだ。」
  ナノ素材の毒性研究は現在行われている研究の非常に大きな部分を占めているとメイナードは『Safety+Health』誌で指摘した。(米国)国立環境衛生科学研究所(National Institute of Environmental Health Science)の毒性研究プログラムによる2003年の報告書には次のように述べられている。「超微粒子が人間の健康へ害を及ぼす多くの兆候が存在する。現在の研究によると無害なバルク材料が超微粒子に作り変えられると有毒になる傾向のあることが分かっている。一般的に、粒子が小さくなればなるほど粒子が及ぼす影響による反応性と毒性が高まる。」同研究所では、2008年までに広範に及ぶナノ素材の毒性を検査するための物質とその手順の開発に取り組んでいる。
  メイナードによれば、毒性に影響を与えるいくつかの要因として、粒子の大きさや表面の広さがあるという。NIOSHの研究者は、物理学と化学の原則に基づき、また石英、石綿、大気汚染に関係する粒子などの、大きな粒子の観察を通して、ナノ粒子の性質についてある結論を導き出すことに成功した。メイナードは、分かっていないのは、ナノスケールのレベルにおける特定の物質の具体的な情報である、と述べた。フィルターや正しく装着した呼吸用マスク、換気制御などの現在行われている労働衛生工学の多くの方策はナノ粒子にも応用できるとメイナードは述べた。
  英国の安全衛生の監督官庁であるHSE(Health and Safety Executive)の2004年のレポートはメイナードのコメントを支持する内容だ。「ナノ粒子:労働衛生の概説」("Nanoparticles: An Occupational Hygiene Review")と題するレポートでは、ナノテクノロジーの安全衛生面については確実なことがほとんどないとする一方で、以下のような現行の労働衛生面での対策を実施することでばく露を限定できるかもしれないと示唆している。

  • 製造工程全体の密閉
  • 局所排気装置を設けた部分的密閉
  • 局所排気装置
  • 全体換気装置
  • 労働者数の制限及び関係者以外の者の排除
  • ばく露時間の短縮
  • 壁面とその他の表面の定期的な清掃
  • 適切な個人用保護具の使用
  • 汚染区域内での飲食禁止

同レポートによると、空気中に浮遊するナノ粒子は気体のような性質を持ち、ナノ粒子の制御用のための工学制御システムは、粒子状物質用というよりむしろ気体用のシステムに近いものになるとされている。高性能(HEPA)フィルターのようなフィルターシステムもナノ粒子の捕集において効果的であろうと同レポートは述べている。
  高性能フィルターを使った呼吸用マスクも有用であるが、正しい装着が不可欠である。もし呼吸用マスクが装着者の顔にしっかりと合っていないと、粒子が呼吸マスクと皮膚の間から侵入するおそれがある。


<参考>

ナノ粒子の安全問題に取り組む英国の研究グループ

   ロンドンに本部のある科学組織である英国王立協会(Royal Society)と、同じくロンドンにある英国の工学グループである王立アカデミー(Royal Academy of Engineering)によって2004年に行われた研究では、汚染された空気中で見つかったナノ粒子が血圧や心拍数の変化に関係している可能性のあることが指摘されている。また、ナノ粒子のなかには血流を介して脳や他の臓器に入り込むものがあるという証拠を研究結果として引用している。
  「ナノサイエンスとナノテクノロジー:機会と不確実性」と題する共同研究で、両グループは以下のように結論づけている:

  • ナノテクノロジーの応用においては、多くの場合、健康、環境、安全に関する見地を欠いている。例えば、コンピューターディスクに使用されているナノメーターフィルムなど。
  • 遊離ナノ粒子は新たな健康、安全、環境の不安を引き起こしている
  • 新たに製造されるナノ粒子が、大気汚染による健康への影響と同じような影響を与えるほどに大量に世に出てくる可能性は低いものの、職場でのばく露を軽減すべく予防策が取られるべきである
  • 今後、産業界が新たな種類のナノ粒子を開発することはありうることであり、それらは現在利用されているものよりも危険なものになる可能性がある
  • ナノ粒子のなかには、大量に吸い込むと中毒性の健康被害をもたらす可能性のあるものがある。リスク評価のためにさらなる研究が必要である
  • 皮膚と接触するナノ粒子に関連する潜在的リスクを評価するためには、さらなる研究が必要である