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欧州連合(EU)の労働安全衛生に関する戦略について
Adapting to change : an EU strategy

資料出所:The Royal Society for The Prevention of Accidents(RoSPA)発行
「OS&H」 2002年6月号 p.49-50

(仮訳 国際安全衛生センター)



イギリス王立災害防止協会(RoSPA)労働安全アドバイザー、ロジャー・ビビングスが労働安全衛生に関するヨーロッパの新しいビジョンについて語った。

 欧州委員会は、欧州連合(EU)の未来にむけての労働安全衛生に関する新戦略、「変化する職場と社会に対応する:職場の安全衛生に関する共同体の新戦略2002-2006 ("Adapting to change in work and society: a new Community strategy on health and safety at work 2002-2006")」という重要な文書を最近発表した。(http://osha.europa.eu/systems/strategies/future/#270

 この文書は非常に広い視野に立って書かれている。文書のなかで欧州委員会は、「高い水準の労働安全衛生を実現することは、欧州計画の基本目標であると同時に、労働の質を高め、ヨーロッパ経済において競争力を発揮するために不可欠な要素である」と認めている。欧州連合全体でみると、4日以上の休業災害は例年およそ480万件発生し、そのうち5,500件は死亡災害である。また、労働災害および業務上疾病による休業日数は5 億日を上回り、約30万人もの労働者が事故による重度の障害を負っている。

 注目すべき傾向は、労働力における女性の役割が飛躍的に高まっていること、高齢の労働者が増加していること、そして中小企業の数が多いことである。欧州委員会の戦略の趣旨は、イギリス王立災害防止協会(RoSPA)が2000年11月、欧州委員会に提案した内容を多くの点で反映している。すなわち、さらなる進歩が意味するところは法令上の問題だけではなく、加盟国全体に「労働安全衛生」を実現させる新しい方法を発見することなのである。

 事実、欧州委員会の戦略は、安全衛生委員会(Health and Safety Commission : HSC)の掲げる「衛生と安全の再活性化戦略」の一環としてイギリスで誕生したいくつものテーマとぴったりと呼応している。例えば次のようなものである。国家目標を設定する。危険度の高い部門に集中する。ストレス(及び心理社会的問題)と取り組む。筋骨格系障害を防ぐ。事業者の動機づけに経済的なインセンティブを利用する。衛生と安全に関する基準を、投資家にむけて公開する基本情報として位置づける。学校教育の場で衛生と安全の概念を教える。 

 欧州連合拡大化のなかで衛生と安全を確立し、新たな加盟国が先に加盟していた国々に遅れをとることなく同水準に追いつけるようにするという大きな挑戦が、いま行われている。そして、もうひとつ、力を入れて取り組まれているのは、労働安全衛生の問題が、関連するすべての欧州連合の政策に確実に組み込まれていくようにすることである。


主な努力目標

  ところで、労働安全衛生の専門家はこの新戦略に対してどのような反応を示しているのだろうか。広範な内容で壮大なビジョンを持っているとはいえ、果たしてそれだけで十分なのか。目標の実現にふさわしいといえるのか。

 ヨーロッパにおける、安全と衛生の実現にむけて解決しなければならない主要課題は以下の通りである。

1) 労働安全衛生の範囲を広げる。すべての重要なリスクと事業分野が適用範囲に含まれ、あらゆる関係者が網羅されるようにする。一見したところ欧州委員会は包括的なスタンスをとっていて、危険防止や主要な関係者全員を取り込むことだけに固執するのではなく、人間の幸福という大きなテーマに取り組んでいるように思える。しかし、その一方で彼らは、まだEU法という狭い視野でしか現実社会を見ていない。EU法はイギリスの安全衛生法とは異なり、欧州共同体の労働人口のかなりの割合を占める自営業者を適用範囲から外し、そして一般の人びとを労働災害から守るように事業者に要求していない。

  また、新たに浮かび上がってくるさまざまなリスク(ストレス、暴力、筋骨格系障害から、日焼けによる皮膚障害の問題まで)への取り組みを力説しているものの、肝心の、ヨーロッパで最も重大な労働災害を見落としている。それは路上でおきる交通事故である。ヨーロッパでは1万人を超える労働者たちが就業中に発生した交通事故で命を落としている。これはその他の原因で就業中に死亡した被災者の合計数を倍以上うわまわっている。にもかかわらず、安全衛生問題を映しだす欧州委員会のレーダースクリーンには、交通事故の影がまったく映っていない。その原因は、彼らが交通事故は、単に交通安全上の問題だと考えていることにあるようにみえる。

2) 労働意欲は、安全衛生の「質」と結びつけて考えてみると重要だということがよくわかる。欧州委員会は、安全衛生を事業業績の問題ととしてとらえ、法律を遵守するしないという観点からではなく、加盟国内で発生頻度の高い傷害および不健康状態(ill-health)の低減を目標に掲げるような制度の創設を提案している。

  欧州委員会は、安全衛生の基準を上げるための推進力になりそうなものを特定しようと、確かな着眼のもとにさまざまな努力をつづけてきた。欧州委員会は、欧州連合全体が共通して取り組めるアプローチを実行することは簡単ではないが、一方で「安全の実現が業績に反映する」というインセンティブがはたらくとも考えている。 しかし、彼らは「質」の問題にこだわっているにもかかわらず、法令面以外の安全衛生の管理基準および判断基準について何も提案しようとはしない。欧州委員会の文書には「予防重視の企業文化をつくる」「警戒心を育てる」などの努力目標が並んでいる。しかし、そこには示されていない最も大切な課題は、安全衛生にきちんと取り組んでいない者は必ず商業的な懲罰を受ける羽目に陥ると認識させること---「安全は業績に反映する」ということを強調する方法ともいえるが---つまり落後者は規則だけでなく、マーケットによっても取り締まられるのだということを思い知らせることである。

3) 援助を与えることは重要である。しかし、欧州委員会の戦略の弱点は、安全衛生のサービスとサポートを企業---なかでも中小企業---に対して確実に提供するために、すべての加盟国がそれぞれの制度を整備していくための方策が明確でないことだと思われる。
  これはトレーニングやコンサルティングへのアクセスに基準や目標を設定するということだけではなく、職場の安全衛生を含むあらゆる種類の技術的なサービスを受けられるよう、規準や目標を設定すべきであることを意味する。労働者保護に関する共通の基準を実際に設定するには、欧州連合全体で通用する安全衛生サービスの提供について、共通の基準を設定するプログラムが必要である。まず始めに基本的な調査からとりかかり、最終的には全ヨーロッパ衛生安全サービスのマーケットの設立をめざしていくことになるだろう。

4) 前進するためには参画と協力が不可欠なことは誰もが認めるところである。欧州委員会は主要な関係者(事業者、労働組合、専門家、仲介人など)を巻き込んでいくことの必要性について述べてはいるものの、その方法論については言及していない。安全や衛生の問題は本来、誰かに何かをしてあげるのではなく、一緒に取り組んでいく性質ものである。しかし、欧州委員会の戦略は、「どのようにして労働者---特に労働組合も結成されていないような零細企業で働く人びと---をより積極的に安全管理に参加させていくか」という問いに何も答えを用意していない。欧州委員会は、欧州連合全体に存在する数多の労働者や通商団体が宣伝や支援を通じてはたす役割を、いかにして強化していくつもりなのか。状況を進展させるための経済的な援助を与えるか、あるいは対等な地位にあるほかの加盟国の通商団体、特に新しいメンバーと組ませることを考えるのか。

5) 説明責任(アカウンタビリティ)は、たとえば企業の社会的責任という文脈のなかで重要なものと認められている。しかしこのことは主に、購買取引や賃貸契約などにあたって倫理的な意味合いを考える際に安全衛生を必ず考慮に入れるといった場合に限られる。「安全衛生に関する実績を利害関係者(株主だけでなく、従業員、請負業者、供給者、保険会社、監督機関そして地元の地域社会)に公表せよ」という共通の要求を企業に向けて発することに、ヨーロッパ全体がもっと熱心に取り組まなくてはならない。それには実績(労働災害及び業務上疾病発生率のような表にあらわれる結果だけではなく、インプットやアウトプットも評価する)をさまざまな次元から分析するための明確なガイドラインが必要である。また、機関投資家が実績を査定するための基準も必要である。

  チーム制で事故や疾病の発生から学ぶ、まったく新しいアプローチをヨーロッパ全体が必要としており、この手法をとることで利害関係者たちが協力しあいながら直接的かつ根元的な原因を明らかにし、そこからの教訓を会社の歴史のなかに深く刻みこんでいくができる。目標に対してどれだけの実績が残せたか、加盟国は課せられた説明責任を果たさなければならないが、おそらく検査を委託された欧州連合の独立監査機関が、加盟国の実績報告と現実がきちんと合致しているか調べるようになるだろう。

6) 将来にむけて教育に力を入れていくことはもう一つの重要なテーマである。安全衛生の活性化戦略(Revitalising Health and Safety : RHS)にもあるように、欧州委員会の戦略には「安全と危険」の概念を学校教育の場で教え込むことの重要性が正しく強調されている。それにより、「安全と危険」の概念を学んだ未来の働く市民たちは、正しい姿勢、知識、理解そして技術を修得して、自分が安全な行動をするだけではなく、他者とともに安全が重要である意思決定に効果的に参加していくことができるだろう。

  欧州委員会の戦略は、衛生と安全に焦点を絞った研究を上手にコーディネートしていく必要性を認めているものの、それを実現するための方法については何も述べていない。また衛生と安全について学部在学中から教育すること、つまりエンジニアや建築家のような、安全が重要な意味を持つ職業に将来従事する学生に安全衛生教育が確実にほどこされるようにすることに、まだ真剣に取りくんでいない。もしヨーロッパに、未来の職場の安全と衛生を担う聡明な労働者の卵を育てようという意志があるなら、この問題は極めて重大である。

7) 外界とのつながりが重要なのは明白だが、文書をほかの観点から考えあわせると、そのビジョンはまだ限定的すぎる。文書には欧州連合の安全衛生をよりグローバルな文脈のなかで規定していくことについて書かれているが、欧州連合が、職場の安全衛生のグローバルスタンダードをひき上げる手助けをするために果たすことのできる、あるいは果たすべき大きな役割については何も言及されていない。欧州連合はこの問題を重要な課題として取り組んでいくべきである。具体的には第三世界諸国への援助や安全衛生の開発援助なども考えられるだろう。

  ここまで欧州委員会の戦略について気づいた点をあれこれ指摘してきたが、全体としては前向きで有益な内容に仕上がっていると言える。しかし、この戦略は「現場の見方」に基づくものではなく、むしろ「中枢から見た見解」と言っても過言ではない。それゆえ、業務上の交通事故等、いくつもの重要点を見落としている。欧州連合の労働者たちが毎日安全に仕事に励めるような職場をつくるために、欧州委員会に(ビルバオの欧州安全衛生機構にいる同僚にも同様に、www.osha.eu)職場の現状を教え込んでくことは、専門家や現場で働く人びとの責務である。欧州委員会は真に戦略的な問題に真っ向から取り組むようにしていかなくてはならない。適切なウェブサイトにアクセスするか、欧州議会の議員と接触し、意見があったら伝えてみてはどうか。