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NHSの暴力行為対策の検討
("Beating the bounds")

資料出所:The RoSPA Occupational Safety and Health Journal
2003年11月号 p.36-40
(仮訳 国際安全衛生センター)



 英国社会において、万人が認める悪事に対し暴力で応酬することはよく見られる光景だが、医療保健業務従事者への暴力は社会に衝撃を与えている。保健省や国民保健サービス(National Health Service : NHS)といった行政機関は、一般市民の怒りをうけ、今度ばかりは暴力行為を減らそうとしている。 エリザベス・ゲイツが報告する。

 NHSに暴力問題へ取組もうという確固とした意気込みが今となって覗えるが、NHSの個々の機関においては、これまでに暴力行為の定義付けからその対策の樹立に至る全てにおいてそれぞれの機関に任されていた。そこで、2003年3月にイギリス会計検査院(National Audit Office : NAO)長官ジョン・ボーン卿は、ヨーロッパ最大の事業主でもあるNHS自らが掲げた暴力に対する対策に進展がないことを報告せざるを得なかった。

 これらの目標は、NHSの"(暴力を)決して認めず(Zero Tolerance Zone)、共に協力しよう(Working Together)"というキャンペーンにおいて1999年に初めて設定されたである。その後、職場環境改善基準(Improving Working Lives Standard)にも組み込まれ、以下の事項を含んでいる。
  • 2003年4月までに暴力行為を30%低減する
  • 報告義務に関する職員の自覚を高める
  • 訴訟もあり得ることを職員に保証する
  • 一般市民に暴力は容認されないことを知らしめる

しかし、NHS幹部のやる気の無さというものが影響を及ぼしている。ジョン卿の知るところでは ―― 例えば、NAOによれば看護師や救急車の救急隊員、救急医療職員もしくは精神衛生部門の臨床職員等最前線で働く職員が業務上、暴力や攻撃を受ける確率は他の労働者に比べ最大4倍と依然高い状態である。 ―― 目標の進展は2000年においては苛立つほど緩慢であった。2002年2月において、届出事件件数の水準は国内各地で大きな変動はあるがさらに実質13%増加しているとNAOは考えている。保健省の'2002年4月までに20%低減させる'という改善目標についてはトラストのわずか5分の1しか達成していない。このことは、いくつかの例外もあるが、2003年4月までに30%暴力行為を低減するという目標には程遠いことを意味している。
 この問題はNAOの監察担当となっている医療分野 ―― 救急病院、精神科病院、救急車トラスト―― に限らない。2003年1月に英国医師会(the British Medical Association : BMA)の一般開業医委員会(General Practitioners' Committee)は、初期治療(プライマリー・ケアー)トラストのおよそ25%しか政府が勧告した対策を実施していないという懸念を表明した。
 BMAはその説明資料で「国内の多くの地域で一般開業医およびその職員は、暴力をふるうあるいは暴力をふるう可能性のある患者などから身を守る術を有していない。 NHSで働く者はサービス利用者やその身内などによる暴力や虐待から守られるべきである。一方、保健省は医師やその職員が保護される必要があることを支持する声明を出している。不幸にして地方レベルでは多くのプライマリー・ケア組織がこの声明に応えていない(おそらくインセンティブや適切な予算のどちらか、あるいは両方が不足しているためであろう)。」と述べている。
 このやる気の無さゆえに、しばしば関係する労働者に重大な結果を及ぼすことがあった。例えば、2000年2月に一般開業医のイアン・ブルーマン医師はケント州スワンリーの自らが経営する医院で働いているときに妄想性統合失調症のマシュー・リチャーズに背中を刺された。ブルーマン医師は8パイント(約4,000cc)出血し、入院治療を経てようやく助かった。
 2001年にダービーシャー州の救急隊員のニック・ホロビンは救急車運転中に窓から投込まれたレンガによって、片目を失明した。また、2003年6月に、ジェイスン・キャン(21才)は精神科看護師マメイド・チャタム(サウスウェストロンドンのスプリングフィールド病院の病棟で死にかけているのが発見された)の殺人罪で告発され、再拘留された。
 これらの事件はまた犠牲者の同僚や家族に痛烈な衝撃を与えた。
 チャタム氏の死に関する報告書では、スプリングフィールド病院では、この襲撃で病院職員が一様に激しいショックを受け、まさに「恐怖の出来事」であったと記している。その時その病棟で働いていた職員には特別休暇が与えられたと広報担当者は付け加えた。また、チャタム氏の家族は悲しみに打ちひしがれていると報告されている。
 精神衛生医療従事者は、さほど大きくない暴力事件ついては報告しない傾向にあるが、精神衛生や学習障害(LD)を抱えるトラストにおける暴力事件の平均届出件数は全トラストの2倍近くであるとNAOは強調している。
 この理由についてはここしばらくの間、いくつかの研究課題となってきた。こうした研究から、例えば、精神衛生慈善団体'マインド(Mind)'は、このような状況下における暴力は次のような要因が考えられると警告している。

  • 病室・病棟の状況および診療が患者のフラストレーションや怒りを増大させる可能性がある。
  • 治療の効果とその副作用により、緊張が高まり、特にじっとしていられない状態になる。
  • 拘束抑制・強制的な治療および隔離を体験したことで生じたトラウマ。
  • 緊急事態における薬物の危険な使用および拘束。
  • 暴力衝動を処理する手助けがどのようなされ、また感情を安心して表現させたか。
  • 苦情に対する公平な処置(非人種差別方針を含む)の必要性。

これらの研究の結果、国立臨床研究所(National Institute for Clinical Excellence : NICE)は現在、精神病入院患者の迷惑(暴力)行為の短期的処置に関する指針を作成中である。しかし英国の治安の良い病院3つのうちの1つである病院の広報担当者は、一般的なコメントとして、精神医療トラストにおける暴力は「医師の診療室や一般病棟で発生したいわれのない暴力に比べ、予測可能でかつコントロールできるので、それほど衝撃的ではない。我々は精神病者のみがNHS内での暴力行為に責任があるというレッテルをはるべきではないと考えている。」と説明している。
 一般的にNHS職員に対する暴力や攻撃の理由はもっと複雑である。NAOによれば、「その理由は不安、医学的もしくは心理的状態、麻薬やアルコール等を含む人的および状況的な原因が結合したものである。何が事件の引き金になり得るのかを予測することは非常に難しい」とのことである。
 マメイド・チャタム事件にもまた悲劇的アイロニーがある。今年の2月、保健委員会(Commission for Health Improvement : CHI)の改善報告書は、サウスウエストロンドンからセントジョージにかけての精神医療トラスト(ロンドン最大の精神医学教育実習病院であるトゥーティング市のスプリングフィールド病院を含む)は安全に業務を遂行するため健全な物理的環境を確保する緊急措置が必要であると勧告した。緊急措置の方法は現在、念入りに分析中であるが、保健委員会レポートの勧告と管理活動との間には必然的に危険を伴う緩慢さがあった。そして、チャタム氏の代理人が述べているように、この緩慢さは許容範囲以上のリスクを容認しNHS内部に浸透しているかもしれない。NHS幹部にとって資金不足の時代に、対策を採るべきだという説得力ある論議がなされている。NAOに届出のあった業務上災害のうち、40%は暴力・攻撃行為によるものであった。その結果、大雑把な計算によれば、年間のNHSの損害は6,900万ポンドとなりNAOは懸念している。
 しかしNAOはさらに「この被害額には、肉体的もしくは心理的あるいは両方の苦痛、ストレスの増加などといった現実に存在しているものとして知られている人的コストは含まれていないし、暴力行為による職員の自信あるいは勤続意欲への影響も入っていない。」と警告している。例えば、リバプールが本拠の救急隊員ジャン・バーネス(28才)は病院に向かう途中で麻薬中毒の娼婦に殴られ目の周りに黒あざができた。また彼女は同僚が患者に頭突きされているのを目撃している。しかし彼女が地方新聞のデイリーポストに語ったところによれば三度目の暴力を受けたことで彼女はついに愛する仕事を放棄したいと思うようになったという。彼女は「私達は緊急呼び出しを受けた。そしてその家に到着したときに、家の外に、中に入ろうとしている男が一人いた。私は問題がありそうだと悟ったので無線で警察に助けを求めるために救急車へと引き返した。私が振り返った時、男は小道で私の同僚を襲っていた。もし女性がいると分かればその男は落ち着きを取り戻すだろうと思ったが、でも現実には私の顔をいきなり殴った。」
 彼女は救急車に走って戻った。しかし、襲撃者は彼女を救急車の中まで追いかけ彼女の顔を車のハンドルに押し付け、後頭部を何度も殴った。「自分の意識が遠のいていくのを感じた」と彼女はいっている。彼女の同僚は男を車から引きずり出し格闘し続けた。男は車のボンネットに飛び乗り、ワイパーをもぎ取り、それでフロントガラスを割ろうとしていた。 逃げ去るために彼女が車をバックさせた時、男は足を滑らせ車から落ちた。「怖かった。それまで自らが災いを招くようなことはなかった。でもこのことで、私はもう今後の20年間を救急車で働きたくないとはっきり思った。」と彼女は付け加えた。
 2001−02年に英国全土でこのような事件が95,500件届出られているが、39%ほどが実際の数より少なめに報告されている。過少報告されているということは、NHSのコミュニケーション向上のための奮闘がまだ功を奏していないことを示している。未だに5分の2は届出がなされていない。NAOによれば、「事件が届出されない理由には、事件処理能力がないことの表われとして受取られることを懸念してということ、事件に留意したがらないこと、報告様式が非常に煩雑しくは不適切であることがある。」という。
 個々のトラストでは、独自の解決方法を見出している。職員に対する暴力行為のパターンとそれが頻繁に発生していることをよく理解するために、例えば、バーネスが今もなお勤務しているマージー地域救急車サービスNHSトラストでは、暴力行為の報告制度を強化した。このトラストの救急隊員は毎日罵詈雑言にさらされているし、概して月に約5.5件の身体的攻撃を受けている(救急車サービスの全国平均は月6件)。不利益な事件に対応するために設けられた非医療部門は、情報記録様式を見直し、現在では暴力に対する質問事項を盛り込んだ。 職員は「意見ではなくただ事実のみを記録せよ」と教育されている。
 王立看護学校は、関連施設から報告のあった事件のうち5件中4件は何の措置も取られていないと示唆している。このことに呼応してNAOは「職員は何の措置も取られていないこと、もしくはNHSトラストが職員に適切な援助をしそうにないことを懸念している。」と報告している。しかし、マージー救急車トラスト(Mersey Ambulance trust)においては、第一線の'医療チームマネージャー(Clinical Team Manager)'が、このトラストにおける事件後の強力な援助の鍵となるとみなされている。例えば、医療チームマネージャーには報告様式('被害者'に対する事件後の処置−応急手当、労働衛生問題への対応、救急緊急部門や開業医への受診訪問、また'被害者'が噛み付かれた場合には血液検査やカウンセリングのような必要な処置の手配、重大事件の全般的な聞取り調査−の記録を含む)の記載を管理監督する責任がある。
 これはサービスの提供に大いに影響のあることだが、任務が中断されることもまた指摘されている。安全衛生専門官のスティーブ・ブラッドベリーは「人々が理解していないのは、これらの事件が地域社会の総ての人に直接的に影響を与えるということだ。一つの暴行は交代制勤務1シフト中に少なくとも1時間の作業停止を、ことによれば1シフト全部の停止を引起すことがある。そしてそのことで次の救急車が大幅に遅れるということがありうる。こうした経営用語でいう'ユニット時間(unit hour)'の損失は'生産性の損失(lost productivity)'を表わすが、一般の人に対して遅延応答というのはそれ以上の問題を惹き起こす。」と説明する。
 調査では暴力行為と職員の離職率のはっきりした関連が立証されている。しかしながら、マージー救急トラストにおける救急職員の離職率は年間1桁台である。これは職業に対する個々の献身のためであると考えられる。しかし、こうした誠意がすべて失われた時には、トラストは彼らにトラスト内での別業務を提供する。例えば、ジャン・バーネスはケガが直ったときに元の業務に復帰するように言われた。彼女はしばらくは救急隊員を続けたが、さらなる訓練を受けることになったことを機に、彼女は、いくぶんほっとした気持ちで、業務を替えた。彼女の語るところによれば「暴行を受けた後、トラストが私を支えてくれたことに本当に感謝している。だけど、私が救急隊員の教官になるためにもっと資格を取ろうと決意した時にも、さらなる多くの手助けがあった。」とのことである。
 NAOはトラストと地元警察および検察局(the Crown Prosecution Service)といったような他の機関との連携が全般的に改善される必要があることを認めている。医師会などの専門職協会や医療労働組合は暴力を抑止する手段として起訴することを支援している。
 公正を期していうならば、2002年以来、NHSの(暴力を決して認めないという)ゼロ・トレランス・ゾーン・キャンペーンにおいて、NHSはそのウェブサイトで起訴手続きに関するアドバイスを公表している。これには警告状態 ――'緩やかな措置ではなく(not a soft option)'―― や検察局(Criminal Prosecution Service:CPS)の役割といった様々なテーマが包括されている。指針(ガイダンス)では、一般的に「暴行事件においては、犯人に人を傷つける意図があったか、または犯人の行為が人を傷つける状況を作り出していることを知っていて、なおかつその行為を続けているかが立証されなければならない。」といっている。この'証拠'の基準をパスすれば、次にその公共性が問われる。簡単にいえば検察条例にあるように「起訴は攻撃が公務に従事している者(例えば警察や看守もしくは看護師)に行われた場合になされうる」ということである。NHSの指針(ガイダンス)は「NHSで働く者に対する暴行は、それゆえ起訴に値する重大問題とみなされる。」と付記している。
 もちろん裁判にはそれ独特の嫌な思いがある。それでスティーブ・ブラッドベリーは加害者の犯罪訴追期間中はトラストがその職員を援助できるように'暴行調査パック(Assault Investigation Pack)'の範囲を拡大しつつある。「マージーサイドの警察は非常に起訴に熱心で、暴行を受けた救急車サービスのメンバーを仲間の一人であったかのようにみなしている。我々はここの警察と今までに首尾よくいった6件の起訴に共同で取組んできた。我々は被害者を今では以前よりもっと積極的に援助している。例えば、詳細な起訴手続きを示したり、彼等と警察や裁判所に同行したりというように。」と彼は語っている。
 しかし、警察に積極的に訴えることを促がすいくつかのNHSの指針(ガイダンス)があるにも拘わらず、いまだに不安は大きいままである。その結果、英国医師会の一般開業医委員会は以下のように提唱している。

  • 検察局(CPS)は故意に医師またはその職員を襲った者に対して相応な刑罰を与える必要がある。
  • プライマリーケア組織によって、全ての地域に、暴力患者を治療できる安全な施設が設置されなければならない。このような施設は、例えば、地元警察署や暴力患者の治療を目的とした開業医院に設置することができる。
  • 地方警察による保護(例えば、緊急連絡電話回線といった形での)。

繰り返して言うが、トラストは積極的に関わろうとすることが少ないように見える。個々のトラストにおける進捗状況を評価することが困難であることをNAOははっきりと承知している。しかしながら深部までメスを入れた綿密な調査によって、英国安全衛生庁(Health and Safety Executive : HSE)はマージー救急車に対して、自身の進捗状況を見定める基準を与えた。
 1999年のHSEのマージートラストへの監督で、暴力が3つの重要問題の1つであると確認された。その他には人力作業とストレスなどが挙げられた。当時は 送検事項に該当していたが、HSEチームは、トラストには方針がなく、防護設備も与えられてない、 訓練も行なわれず、コミュニケーションにも乏しく、最低限の報告しか行なわれていないと言及した。
 しかし2003年にHSE監督官が再視察したところによれば、当初の不十分な取組みから6年が経過し、現在ではマージートラストの取組みは好事例といえるまでになっている。トラスト全体の懸命な取組みと協力がこのことを成就させた。しかしまだまだ自己満足している余裕はない。
 1998年に任命されたスティーブ・ブラッドベリーは次のように説明している。「実際、過去において保健省からほとんど指導を受けたことがなかった。なぜなら保健省には救急車サービスについてほとんど理解していなかったからである。彼等は現在これをやり始めているところである。しかし暴力に対して我々が何をやるべきかを長い間、本当に何も教えてくれなかった。救急車サービスに関する国による総合的な助言はなかった。我々は常にどのような指針であれ、既存のものを適合させなければならなかった。なぜなら救急トラストにその義務があるからである。」
 このことは安全衛生を担当するトラストの間でもやる気のある態度をとらせた。1997年のHSEによる批判−'そしてHSEは我々の困難が何であるかを本当によく理解している'−に直面して、トラストの安全衛生部門の幹部と職員代表者は共同で行動計画を開発した。
 「最初に我々はコミュニケーション問題に取組まなければならなかった。救急車の中や外でも救急隊員と連絡できるように彼等に双方向無線と携帯電話を持たせるようにした。一つの問題は職場が常に変わり続けているということである。職員は常に異なった土地建物で働いている。その意味でリスクを評価したり、職員に安全な労働環境を提供したりすることは難しい。そこで救急車のデザインを変更した。」とスティーブ・ブラッドベリーは説明する。
 欧州標準化委員会(CEN)の技術作業部会(Technical Working Group)の会員でもある運用支援サービスマネージャーのトニー・カウリーは、臨床及び業務上の必要事項に適合する救急車両設計欧州標準仕様を策定した。「本トラストは、北はサウスポートから南はクルーまで、東はマックルズフィールドから西はチェスターまでの1,180平方マイルにわたる地域を担当している。毎年、600人の救急職員を含む1100人のスタッフが240万人からの約27,000件の緊急呼び出しを迅速に処理している。」と彼はいう。
 「しかし、この地域には飛行場が3ヵ所、主要鉄道網、フットボール競技場、カルトンパーク自動車レーシング場、エイントリー競馬場がある。それで主要行事の際に重大な問題が発生する可能性がある。これに対応する救急車が必要であった。そこで当初の救急車のデザインを作業の行いやすさという観点からもっとゆったりとして、かつ、より質の高いものにしたばかりでなく、暴力が行なわれている状況では安全に手助けができるように改造した。
 そこで、救急隊員が救急車の中で警報装置、緊急警報及び(時おり裁判所で使われているが)車内での出来事を証拠として収めるカメラを利用できるようにした。 この装備は運転席にあるスクリーンに表示されており、注意を喚起している。警察への連絡は瞬時で、(通常は)わずか数分で対応してもらえる。
 トラストは、これより大切なことは、暴行行為が生じる前に冷静に対応できるよう職員を訓練することであると認識している。HSEは本年初頭にこのトラストの救急隊員に対する訓練を推奨し、この訓練を補助部門の職員を含む全職員にまで広げるよう勧告することにしている。
 スティーブ・ブラッドベリーの説明によると、先ほど述べたが、訓練に関するガイダンスとして利用できるものは何もなかったので、彼は自分で情報源を見出さねばならなかった。彼は、以前は治安の良い病院の看護師で、現在、'暴力行為の取り扱い'研修をペナイン医療サービスとモーカム(Morecambe)・プライマリー・ケア・トラストの支援及びサルフォード大学の認定を得て運営しているミック・ルアンと出会った。この救急車トラストから委託されたトラスト指導員研修の内容は、救急車での場面が想定されて、例えば'患者の管理と拘束(Control and Restraint)'は含まれていなかった。
 しかし、ルアンは「ある種の原則は変わらない。例えば、高価な宝石類を身に着けて貧しい家に行き、患者やその身内に敵愾心を抱かせるというようなことをするなという安全面からの見解を論じている。またガムを噛むなといっている。それは無作法で思いやりのない人間のように見られかねないからである。それによって人はより攻撃的になるかもしれない。我々は職員にボディランゲージの読み方と衝突の避け方−緊張緩和−を教えている。」という。
 「そして、基礎的な護身術の研修もある。精神衛生トラストの研修修了生の一人が、患者に襲われほとんど絞殺されそうになることがあった。そのことは全く予期できなかった。彼女は秘書であった。患者は彼女を2つのファイルキャビネットの間に押し込んだ。 しかし彼女は習ったことを思い出し、脱出することができた。このため、我々は訓練の内容を改善し、例えば、救急車のような閉塞空間から脱出する方法も教えている。」
 統計によれば北アイルランドは開業医にとって安全なところではあるが、ラーガンの開業医フレッド・マクソーレーもまた身を守るための教育を考案した。マクソーレー医師は、医者が医者自身やその職員の身を守るために役立つ指針(ガイダンス)がないことを知った。彼の研修において'回避すること(Avoidance)'のみならず、医院内で武器として使うことができるものが容易に入手できないことを確実にしておくための念入りな調査も勧めている。BBCのニュースオンラインでも報じられたように「残念ながら、社会はかってそうであったかのようには、NHSの遅滞や障害に寛大ではなくなっている。」と彼は付け加えた。
 保健省は現在、支援を約束している。4月にNHSにおける防犯制度の改善に特別の責任を持つ'詐欺及び防犯管理サービス'(the Counter Fraud and Security Management Service : CFSMS)が設立された。CFSMSは、NHS職員は来年初めより始まる衝突解決訓練(conflict resolution training)を受けることになると公表している。
 NAOは、現在に英国内において利用できる訓練は質が様々であり、'研修実施業者の認証制度がなく、全医療スタッフおよびサポートスタッフの年間の訓練ニーズ分析も欠如している'と警告している。
 暴力を振るったり悪態をついたりする人の治療を、医療職員が拒否するかどうかの選択権は、NHSのゼロ・トレランス・ゾーンの枠組みの中に見られる。最も良くいった時でも、職員は難しい倫理上のジレンマにおちいるので、結果として精神衛生患者は'責任がもてない'ということで枠組みから除外されている。
 しかし、これを支持する職場管理風土はきわめて重要である。
 スティーブ・ブラッドベリーの説明では、彼のトラストの'暴力行為をする患者の治療差し控え'に関する理事会方針(Trust Board's Policy on the Withholding of Treatment from Violent and Abusive patients)(2001年発行、職員に対する暴力に関しての他のトラストの方針も補足されている)は幹部が職員を支援しているということを職員に納得させる鍵となった。
 彼は「我々は致命的な被害や狙撃されたり、刺されたりしたというなことはなかったが、職員はそのような事態の起こる危険性は非常に高いと感じている。そこでこの詳細な方針はすでに機能している対策をさらに詳しく述べている。この方針は治療をどんな時に差し控えるのが適切かを職員に明快に示すことを目的としており、このことをトラストの理事会は全面的に支持している。」という。
 またこの方針は、治療を差し控えることが不適切である場合についても、はっきり述べている。それは患者が以下のような場合である。

  • 患者が病気、外傷、精神病もしくは薬物治療中で自分の行動に対し責任を取る能力がないとき。
  • 患者が緊急治療を求めているとき。
  • 患者が16歳未満のとき(異例の事態にある場合を除く)

方針の一部として、現場リスク評価指針(On-scene Risk Assessment Guidance)が示されている。「このリスク評価は現場で実行されるものではない。」とスティーブ・ブラッドベリーは説明する。「職員の暴力行為対策訓練の一部として行うものであり、この指針に何が示されているかを事前に体得し、問題が起きそうな場所に行った時に職員がそのことを瞬時にできるようになることを我々は期待する。」
 更に、トラストの重要改革は、暴力行為に会うことが予想される'現場を特定する'ことである。救急車の乗組員がその目印を見たら、まず患者を世話する前に警察に立ち会ってもらうようにする。この目印は最大12ヶ月継続されるが、その間でも見直しが行なわれる。患者は書類で通知されるが、患者は抗議することもできる。「このようなことは何度かあったが、簡単にできるようなことではなかった。」とスティーブはいう。
 「もちろん救急車の職員がそこにいなければ彼等が暴行を受けることはない。しかし緊急呼び出しに対応するのが彼等の本分である。そして彼等がその場にいる限り危険がある。」と彼は付け足した。
 HSEは、1996年というかなり前に全職員用に「職場での暴力」と題するチラシを作成した(このチラシは今でもwww.hse.gov.ukのウェブサイトから無料で入手できる)。
 この指針(ガイダンス)は−リスク評価、活動計画の作成、活動計画の実施と見直し−といった基本原則を繰り返し述べている。また、ウェブサイトには手助けとなる業務上の暴力行為の事例が多数掲示されている。最後に、医療センターの事例を示す。
 2003年のNAO報告書'より安全な職場(A safer place to work)'においてジョン・ボーン卿は、NHSの病院及び救急隊員を暴力行為から保護するために、(100万人以上いる)NHSの職員は安全で治安の良い職場を要求する権利があるし、NHSの組織は職員がその勤務中に暴行を受けたり悪態をつかれたりすることから保護されるよう最善を尽くす法的、倫理的義務を有しているというメッセージを今も繰り返している。

ケーススタディ(HSE指針(ガイダンス)によるもの)

主要都市郊外の大規模団地にある医療センターは一般から隔離された区域にあり、16,500人の患者を受け持っている。そこは地域看護師、地域保健師、手足治療師、地域精神病治療看護師を含め、一般開業医、事務職員、その他医療専門職員の拠点となっている。

リスク評価では以下のことを識別する

  • 受付係に対する無作法、脅迫威嚇、罵詈雑言 − 患者が直ちに診察してもらうことができないとき。
  • 医療職員に対する無作法、脅迫威嚇、罵詈雑言 − 受けている治療が患者の期待にそわないとき。
  • 身体攻撃 − アルコール・麻薬の中毒または精神病の来訪者を扱うとき。

活動計画
訓練及び情報

  • 全職員はどんな時に患者から危険な行為を受けるかを熟知する
  • 受付係は暴力を振るったり悪態をついたりする患者を見定めるのに役立つボディランゲージやその他の手がかりを見つける経験を持つこと。

職場環境

  • 患者のプライバシーを確保するために受付に個別ブースを設置すること。
  • 非常警報が地元警察に繋がっていること。
  • 理解できない会話があった場合、ボタンを押すとその会話が電話で同僚に通報されるようになっていること。
  • 防犯・監視用カメラが装備されていること。

職務設計
  • 職員は問題が起こった場合に、他の職員に警告するために暗号化されたメッセージを使えるようにすること。
  • 地元警察は随時、巡回すること。

注)トラストは、1990年に制定された「NHSおよびコミュニティ・ケア法」により、政府から直接財政資金を受け、独自の理事会を有し、地域の保健組織からは独立して運営される公立病院を示す。

注)イギリスのNHS(国民保健サービス)は、GP(General Practitioner)と呼ばれる一般医と、NHSトラストと呼ばれる大病院との二本立てになっており、病気になった場合は、GPにまずかかり、より高度の医療が必要な時はNHSトラストの大病院に紹介されます。