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がんと職業

資料出所:The RoSPA Occupational Safety and Health Journal
「OS&H」|2004年5月号 p.18
(仮訳 国際安全衛生センター)



 英国安全衛生庁(Health and Safety Executive: HSE)によると、アスベストの吸入に関連する中皮腫のほかにも、特定の職業が原因であることが確認されているがんにはさまざまな種類がある。一例を挙げると、塩化ビニルモノマーのばく露による肝臓の血管肉腫、βナフチルアミンのばく露による膀胱がん、堅木の粉じんのばく露による鼻腔がん、多様な産業物質や産業プロセスによる肺がんや皮膚がんなどである。しかし、ここにエリザベス・ゲーツが報告するように、職業のいかなる影響が、がんを引き起こす要因となるかは判定しにくい。

 HSEのウェブサイトでは次のように説明されている。「職業とがんの因果関係がはっきりと確認されているがんは一部にすぎない。「負傷・疾病・危険事態報告規則(Reporting of Injuries, Diseases and Dangerous Occurrences Regulations: RIDDOR)」と雇用年金省(Department of Work and Pensions: DWP)の「労災補償制度(Industrial Injuries Scheme: IIS)」を通じ収集したが、いずれのデータも、英国における職業がんの真の発生率を推定する根拠とならない」
 HSEの委託調査は、この問題の複雑な側面を具体的に示している。たとえば、1998年に教師に対し実施した調査では、一般的には教職は死亡率が低い職業とされているが、生徒らの感染症にばく露する可能性が高いため、白血病に罹患するリスクが高まっていることが明らかになった。
 しかし、食道がんの発症を考察した(1998年発表の)別のHSE調査結果では、職業上のがんの発生要因を明確に特定することは困難であった。たとえば、食道がんの発症リスクは、りんご酒生産の農作業従事者では高いが、顕著だったのは、かれらの喫煙や飲酒などの生活習慣要因の方であって、調査した10の異なる職業に関わる要因はそれほど目立ったものではないとの結論が出されている。
 「Occupational and Environmental Medicine」誌2003年60号に掲載された調査論文で示されたように、がんの原因をめぐる論議はまだ展開されている。この論文から一例を引くと、航空機乗務員に悪性黒色腫が増加していることが挙げられる。
 論者であるスウェーデンの研究者が確認したことは、悪性黒色腫の増加は航空機乗務員の男女ともにその傾向が見られ、それ以外の皮膚がんのリスクは男性乗務員に増えているということであった。
 アイスランドで1,000人余のパイロットと客室乗務員、および一般人から約2,000人を無作為に抽出して実施した調査では、この2グループ間の身体的特徴(皮膚のタイプなど)あるいは行動(日光浴用ベッドの利用や、日ざしの強い場所で休暇を過ごす頻度など)の相違に注目している。この調査から研究者は、一般人と比べ、航空機乗務員はより多く日ざしの強い場所で休暇を過ごしている傾向があるが、生活習慣の違いだけががん発症の危険度を高めるわけではないと結論している。
 2種以上のがんを発症するリスクがあるとされる職業も存在する。同論文で注目しているのは、アイスランドで1500人余の女性客室乗務員に対し実施した調査で、35人に乳がんの発症が見られたというものである。研究者は、「ジェット機での移動が当たり前のことになった1971年以前の時期に5年以上客室乗務員として勤務している女性は、1971年以前の勤務期間が5年未満の女性に比べ、乳がん発症率が5倍も高くなる傾向がある。生殖にかかわる要因を調整した後でも、依然として相関関係は残っている」と結論している。
 電離放射線のばく露などの職業による要因により、がんが発症する可能性は、さらなる注目に値すると研究者は見ている。
 米国疾病管理予防センター(CDC)のエリザベス・ウィーラン博士(Dr Elizabeth Whelan)は「Occupational and Environmental Medicine」誌に掲載された論文についての論説で、他の航空機に比べジェット機の飛行高度はきわめて高いため、電離放射線のばく露量も多くなると説明している。博士が語るには、アイスランドの航空機はすべて北極に近いルートを飛行するが、このルートは、より赤道に近いルートに比べ電離放射線のレベルが高い。博士は、飛行高度が高いほど、また距離が長いほど、電離放射線の平均ばく露量は徐々に増加するとし、さらに、不規則な勤務時間や体内時計の乱れも、疾病を招く素因となりうるとコメントしている。
 職業あるいは生活習慣の因果関係にかかわる議論が延々と展開されるうちに、「責任を負うべき」者、つまり従業員を不注意に発がん性物質にばく露させる事業者は非常に特定しにくくなる。しかしHSEは、少なくとも明らかに職業にかかわる要因の特定についてはある程度積極的に取り組んできた。
 たとえば、「Journal of the USA National Cancer Institute」誌の2つの記事の中で、交代制勤務と乳がんに関連性がある可能性が示され、夜間に人工照明に曝されることで発生するメラトニンの量や他のホルモン分泌量が、がん発症に影響を及ぼす可能性が示唆されている。HSEはさらなる調査を委託し、2003年7月に英国がん研究所(UK Institute of Cancer Research)のアンソニー・スワードロー教授(Professor Anthony Swerdlow)(疫学)の報告書を発表した。
 その報告書、「交代制勤務と乳がん:疫学的証拠の論評(Shift work and breast cancer: a critical review of the epidemiological evidence)」で、同教授は「概して、交代制勤務と乳がんの関連性を示す証拠は相当存在するが、決定的なものはない。したがい、関係を明らかにするためにさらなる疫学的研究を続けなければならない」と結んでいる。
 2002年春の「労働力調査報告(Labour Force Survey)」に見られる傾向から、HSEは英国女性の180万人が「通常、または時々交代制勤務についている」と推定している。そのうちの40万人が夜間労働をしている(夜間勤務、コンチネンタル・シフト(continental shift 訳注:3交代制で、短い周期でシフトを変える方式。通常、シフトが変わるときに休日が入る)、3交代制勤務など)と推定されている。HSE政策局の副局長サンドラ・コールドウェル(Sandra Colwell, HSE Co-Director of Policy)は、「乳房の疾患は多くの女性にとって不安の種である。英国では1年間で4万人が乳がんと診断されている」
 乳がんに罹患する危険要因で確認されているものは、出産未経験、高齢初産、初経の早い女性、閉経の遅い女性、及び電離放射線の被ばく量過多などである。しかし、HSEは、交代制勤務と乳がんのリスクの相関性に対する所見は、乳がんを引き起こす危険要因で既存するものと疑われるものの双方の情報を検討して判断すべきだ、としている。たとえば、「交代制勤務についての論文を検討評価する際に主に難しい点は、交代制勤務がいくつかのすでに確認されている乳がん発症要因に代わる1つの要因にすぎない可能性があるということだ」とHSEは警告を発している。
 コールドウェルは、「乳がん発症リスク要因には、行動、環境、遺伝子にかかわる側面があるため、交代制勤務、特に長時間の夜間勤務のような要因がどのような影響を及ぼすのか特定することはとりわけ難しくなる」と続けている。
 しかし依然として、乳がんと交代制勤務との関係について更なるHSEの調査は実施されていない。また、近々実施する予定も立てられていない。一方、HSEはHSEガイダンスブックレット「エラーを減らし行動を変える(Reducing error and influencing behaviour)(HSG48)」に既出の勧告を参照しながら、交代制勤務に関するあらたなガイダンスにつき、専門家の意見を求めている。
 乳がん以外のがんでは、その予防策についてHSEのガイダンスがすでに出来上がっているものもある。たとえば、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院の環境疫学部(Environmental Epidemiology Unit at the London School of Hygiene and Tropical Medicine)では、多環芳香族炭化水素(PAH)のばく露による肺がん、膀胱がんのリスクのレベルについての研究がなされている。有機物質が燃焼するとPAHを放出し、アルミニウム精錬作業者、コークス炉作業者、ディーゼル排気ガスに曝されている作業者などのがんのリスクが高まる。
 2003年に発行されたHSE委託の調査報告書では、次のように報告されている。「作業で1立方メートルあたり1マイクログラムのPAHに40年間曝されていると、肺がんの罹患率が8%高まる。換言すれば、肺がん発症のリスクは、1,000人に80人から1,000人に86人の割合に高まる。膀胱がんの発症リスクについては、その事例が少ないことが主な理由で、明確な結論は出なかった」
 このような調査を実施することで、「2002年有害物質管理規則(Control of Substances Hazardous to Health Regulations 2002: COSHH)」に定められた最小ばく露レベル(minimum exposure levels: MELS)の設定を徹底するよう通達しやすくなる。COSHHの規定に準拠するために、有害物質へのばく露は合理的に実行できる範囲でMELSより低くしなければならず、また、特定の基準期間での平均値はMELSを超えてはならない。HSEのCOSHHを強制的に順守させることは、従業員にとっては、さらに堅固な防衛線となる。
 たとえば農業では、大量の農薬へのばく露は前立腺がんの発症に影響を与える可能性がある。「職業上の農薬へのばく露と前立腺がん:メタアナリシス(Occupational related pesticide exposure and cancer of the prostate: a meta analysis)」と題した「Occupational and Environmental Medicine」誌(2003年60号)の記事では、複数の研究者が1995年から2001年に発表された22の疫学的研究の結果を検討、再分析している(この間、同主題では43例の研究が発表されている)。総括的なリスク要因が算出され、職業上農薬にばく露することが原因で、前立腺がんのリスクは13%となると示唆している。
 研究者は、この数値は小さく見えるかもしれないが、人々の公衆衛生に対し重要な意味合いを持つ値となりうる上、「農薬やその他の化学物質への職業上のばく露を制限する必要を再び強調する数字である」、と述べている。
 概して、英国での、職業上の原因によるがん死亡率のHSEによる最良推定値は、「4%である。ただし関連する誤差範囲を2%から8%とする」。英国での最近5年間の死亡者数データにこの最良推定値を当てはめると、職業上の原因による一年間の推定がん死亡者数は6,000人となる(誤差範囲内では、3,000人から12,000人)(ただし、中皮腫を含める)。
 「中皮腫を除くがん関連の労災補償制度(IIS)による疾病給付総件数は1994/95年度以来おおむね年間約80件だが、アスベスト関連の肺がんと膀胱の乳頭腫だけは、給付件数が当時の2倍に達している。「負傷・疾病・危険事態報告規則(RIDDOR)」の規定に従って報告しなければならないがんもあるが、そのような報告件数は通常少数である。これらのがんに罹患していることが明らかになるまでの潜伏期間があるため、発症した従業員の多くは、がん発症の要因に関連する職業からすでに離職しており、このような案件については報告の義務はない」
 保険業界の問題は深刻である。英国保険協会(Association of British Insurer: ABI)のスポークスパーソンであるマルコム・ターリングは次のように説明している。「法的責任はないとしても、保険会社はがんなどの長期にわたる職業病に対する保険金支払請求に応えなけばならなくなっている。現在、事業者からの保険金支払請求の25%が長期にわたる職業病関連のもので、そのような職業病は、その要因にばく露した後20年、30年、40年が経過して発症することのあるものである。これが、事業者が加入する賠償責任保険料が非常に高額である理由である」
 将来の医療進歩が保険金請求管理に及ぼす影響も見過ごせない。このような問題すべてが、推定される保険金請求件数と財務リスクレベルを基に現在保険料率を設定している保険業界にとっては大きな頭痛の種となっている。「保険料は上昇せざるを得ない」とターリングはコメントしている。
 ターリングは続ける。「保険業界では通常、長期にわたる職業病予防にかかわるガイダンスは発行ない。HSEの仕事だからである。しかし、法律やHSEの規定するベスト・プラクティスにいつまでも順守しない事業者のいる分野に対する保険料率は、概して上昇している」
 このように保険料率を上げても、「長期的に見れば、職業病への保険請求に対する現行の資金調達方法では資金不足になる」とターリングは警告を発している。
 保険会社側は業界が許容できる解決策を模索している。たとえば、英国保険協会(ABI)は最近、(政府が公費支出する可能性を含め、あらゆる支払方法を考慮して、)増加し続ける「長期職業病に対する保険請求」への支払方法に関する調査を依頼している。
 しかし、ふつうは事業者と従業員が認識を深めてこの問題を解決すべきである。
 一例を挙げれば、2003年10月に欧州安全衛生機構(European Agency for Safety and Health at Work)はその「年次安全衛生週間」のテーマを「有害物質」としている。この「週間」を共に実施したHSEは次のようにコメントしている。「この「週間」の目的は、欧州全域の事業者と従業員に、有害物質が彼ら自身およびその家族に悪影響を及ぼさないよう講ずるべき措置について、より深く考察させることであった。このキャンペーンでは事業場で使用する化学物質の管理に焦点を当てた。ここでの化学物質とは、作業過程で生じるヒュームや粉じんと同様に、職業性喘息、皮膚病、がんなどの疾病を引き起こす原因となりうるものである」

追記
  • 前述のキャンペーンでは、事業場の(アレルゲンから発がん性物質までにおよぶ)有害物質管理に関する業界向けのグッド・プラクティス29事例(受賞事例含む)が注目されるようになった。これらの事例は欧州安全衛生機構のウェブサイト(www.osha.europa.eu/)から「職場の有害物質によるリスクの実践的な予防(The practical prevention of risks from dangerous substances at work)」という報告書形式で入手できる。
  • HSEは、通称e-COSHH adviceというウェブサイト(www.coshessentials.org.uk/)も開設しており、次のような事業を網羅した70種の新しいガイダンスを作成している。
     新ガイダンスの対象事業:理髪業、電気分解業、ピアス施術・刺青師、美容院(メーク、ネイル・ケアなど)、自動車修理、小麦粉の粉じんの発生する事業(手作りの焼き菓子職人)、木工職、鋳物工場、ゴム製造業、清掃業、ドライクリーニング業、スプレーと粉による殺虫業、害虫・害獣の駆除、水処理業、防腐保蔵処理業、自動車排気ガスの発生する事業(倉庫やガレージ内作業など)、ナイトクラブ・小規模なライブスポット、花卉販売業、青果商、レストランなど。