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ある労災被災者のその後
Hitting rock bottom

資料出所:The RoSPA Occupational Safety and Health Journal
2005年1月号 p.30−34
(仮訳 国際安全衛生センター)



  HSEの監督官がエリザベス・ゲーツに「目の前に死体があれば、皆さんは死亡理由を知りたいでしょう」と語ったことがある。死亡理由を詮索することが、死亡災害統計に一般市民がどのような関心を抱いているかを説明していると同監督官は語っている。だが死亡災害統計とは別の重傷災害の生存者が含まれた“統計”では、孤独と貧困にあえいで生活する彼らの実情が示されている。重傷災害の生存者はぐちをこぼしても、「生きているだけでラッキーだったよ」と言われてしまうことがある。本稿は、あらゆる種類の災害、特に墜落・転落事故の予防が大切である理由に焦点を当てる。

  6年前、多能工の建設労働者のジョン・スミスは、イーストロンドンの中規模建設企業の事業者の下で、保守・修理プロジェクトのアセスメントを担当していた。彼は2人の娘、両親とも近所に住んでいる暖かい大家族に囲まれていた。スミスは両親のために塗装や装飾をしたり、娘のために棚を作ったり、妻のサリーを毎年海外旅行に連れて行くなど、自分のあらゆる時間を喜んで家族のために注いでいた。夜になるとテントにもぐってロビンソン・クルーソーごっこをして孫たちと遊んだ。孫と釣りにも行った。充実した生活であった。
  ところがある日曜の朝、スミスは火災の被害にあったノースロンドンの学校の屋根と壁の木材の被害状況の検分を依頼された。スミスが屋根に上った際に、近隣の人々が不安を感じ警察を呼んだ。警察はスミスがしていることを確認し、彼に声をかけたとたん、スミスは警察に気を取られ、足を踏み外して屋根から転落した。「その後のことは覚えていません」とスミスは話ている。
  “その後”は非常に残酷であった。スミスは救急用輸送機で病院に搬送された。「(この災害で)状況が一変しました」とスミスはおずおずと話している。
  彼は5週間昏睡状態にあり、昏睡から覚めた後のことを次のように語っている。「口からよだれを垂らし、自分で着替えられず、頭の上に腕を持ち上げられず、服のボタンを留められず、歩行できず、ほとんど話せませんでした。しかしもっと最悪のことは、日常会話に出てくるような物事を思い出せないことでした。孫たちの名前、時刻表、カレンダーの日付、色などが思い出せないのです。すべて忘却のかなたに去ってしまいました。事故前までは、14人の部下の仕事のスケジュール管理に責任をもっていましたが、事故後は何もできなくなりました。自分の名前さえ署名できないほどです。しかし医師と看護師は、わたしに命があるだけでもラッキーだったと言うのです」
  スミスは8週間後に退院した。この病院の見解では、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が院内に蔓延していたため、スミスの退院は適切であったという。以前は“活動的で才気あふれていた”スミスは今では車椅子に座り、病状としてはうつ状態にあり、もはや仕事につけず、医療給付金にたよる生活を覚悟している。
  「自信はすべてなくしました。もう一度歩けたとしても、店に行っても誰かに会うと思うと店内をぐるっと巡れないのです。話し方と記憶がおぼつかないため、人に会うのが怖いのです。妻も、私の世話に明け暮れるため仕事にでられません。私たちの生活はめちゃくちゃになってしまいました」
  ピーター・ガーディナーの事例も同様である。ガーディナーは、イングランド西部地方の大規模建設会社の請負大工として働いていた。ある日、ガーディナーは大きな家屋の切妻屋根の仕事を片付けるよう依頼を受けた。必要な足場が風に吹かれ揺れていたが足場組み立て業者から、足場の安全性については問題がないといわれたので、ガーディナーは足場に登った。しかし、20フィートの高さでは、まだとても低すぎて、切妻屋根の端に達するためには踏み台の上に乗り、バランスをとらなければならないことに気づいた。踏み台に乗ると構造物の位置がずれ、ガーディナーは屋根から境界壁の上へ転落し、“へそほどの高さにあたる”背骨を骨折した。
  ガーディナーは自分の症状について次のようにコメントしている。「麻痺の程度は、背骨の骨折部位により変わってきます。わたしは第10胸椎を骨折したので、上半身は完全に力が入りますが、腰より下は麻痺しています。胃の筋肉には力が入りません。また血液循環も悪いので擦り傷やはれものができると治るまでに時間が掛かります。排泄機能や性的機能も失いました。最悪なことは失禁してしまうことです。これがわたしに一生つきまとう症状なのです」
  災害の10年後、42歳になったガーディナーは、車椅子生活を余儀なくされてはいるがある種の心の平静に達したと語っている。一方でジョン・スミスは59歳であるが、まだ心の平静を得る境地には達していない。スミスは今でも泣き出しそうになってしまったり、抗うつ剤が手放せなくなったりするのでは、と憂鬱になっている。

 統計を見ると元気づけられるものではない。高所からの墜落・転落による死亡者は毎年70人(災害死亡者数の30%超)であり、重傷者は4,000人にのぼる(災害による重傷者数の約20%)。高所からの墜落・転落は、労働者の死亡原因のトップであり、重傷原因の第2位となっている。また、高所かkらの墜落・転落が及ぼす生存者の生活への影響についてはようやく今日認識されはじめたところである。
  一例を挙げる。在スタンモア、英国王立整形外科病院の脊椎損傷およびリハビリテーション専門コンサルタントであるフレッド・ミドルトンは、2001年11月、ガーディアン紙に対し次のように語った。「SCI(spinal cord injured:脊椎損傷)患者の圧倒的大多数は職場や学校に復帰できていません。英国では86%の患者が失業していると見られています(欧州平均では62%、米国では50%)。麻痺の症状がある患者は、うつ状態に陥る高いリスクを抱えています。SCI患者の早死原因の第2位は、自殺です」。
  また、麻痺患者の親族や家族が抱えるストレスは非常に大きいものとなる。ピーター・ガーディナーはこのことを認めている。「事故前に結婚していましたが、事故後に離婚しました。わたしの選択です」
  WHOによると、労災による身体障害とその結果被る社会からの排斥を予防することが、国民の健康を守るために労働衛生サービス事業体が寄与する最大の仕事のひとつであるという。英国では、HSCやHSEが多くの時間を割いて勧告やガイダンスの作成に取り組んでいる。たとえば、高所からの墜落・転落についての勧告はこれまでに豊富に作成されている(ウェブサイトから無料でダウンロードできる)。
  具体例を示す。2003年6月、HSEは、調査報告書RR116「高所からの墜落・転落 ( 防止とリスク管理効果)」を発行した。この調査は、HSE委託により高所からの墜落・転落重点計画の活動を周知させるために、全業界を対象に実施したものである。同計画の目的は、2010年までに墜落・転落災害数を10%低減することである。調査報告書116によると、墜落・転落災害数を10%低減することで、死亡者数は3%、重傷者数は2%、それぞれ低減されるという。
  RR116では、ボーメル社(イギリスのコンサルタント会社)がRIDDOR1995によって提出された1996/97年度から2000/01年度における高所からの墜落・転落に関する災害データを分析している。ここでは、高所からの墜落・転落災害の頻度が最も高いのは、建設業と農業であることが確認されている(その他の頻度が高い産業は、輸送業と公益事業である)。
  RR116は、以下の事柄も記載している。
  • 高所からの墜落・転落の発生率の改善を評価するための明確な基準
  • 人、ハードウェア、外部要因を含む、高所からの墜落・転落に影響を及ぼす要因の数量化モデル
  • 対策の選定、達成目標の設定、改善状況のモニターのためのツールキット
      また、重要な問題として、以下のような点が強調されている。
  • 高所作業の危険要因を削減するための計画と企画者の重要性
  • 十分なガイダンスと情報を用意し、人々にリスクを周知させる必要性
  • 優れた安全衛生の実践によって生じる経済上の利益について、よりよい理解を必要とすること

  過去の墜落・転落にかかわる法令には、1999年労働安全衛生管理規則(Management of Health and Safety at Work Regulations 1999)などの広域的な一連の規則集や、職場の整理整頓や個人用保護具など特定の分野にかかわる一連の規則集などがある。今後は、「高所での仮設作業に関するEU指令」(2001/45/EC)(European Direction on Temporary Work at Height (2001/45/EC))から生じた法令がこのような保護規則をさらに補完することになろう。
  HSCは2003年12月から2004年4月にかけて、いくつかの規則の草案について協議した。しかし、多くの問題が挙がり、利害関係者とさらに検討を重ねる必要が生じ、協議の最終期限は2004年12月となった(詳細については、HSEのウェブサイトを参照)。
  たとえば、建設業の“2m規制”が吟味されている。RR116の統計データでは、2m未満の低所からの墜落・転落による死亡災害はほとんどないが、梯子、足場、また特に階段からの低所の墜落・転落は全墜落・転落数の約60%を占めており、建設業では墜落・転落の割合がもっとも高くなっている。この報告書ではこの点についての重要性を強調している。
  またHSEは、次のようにも説明している。「“2m規制”は、『建設業健康安全福祉規則(Construction Health Safety and Welfare regulations (CHSWR))』の中の既存の規定のひとつである。ですから、2m以上の高所での建設作業において墜落・転落防止のための特定対策を講じることを実質的に事業者に義務づけている。手すりなどの対策を施して墜落・転落を防止し、十分な足場を設けて安全な作業を確保する必要がある。作業の性質や期間によりこのような安全対策が実現可能でない場合は、墜落・転落防止用個人保護具を使用しなければならない。さらにいずれの安全対策も実現可能でない場合は、それ以外の墜落・転落防止の十分な対策を取らなければならない」
  しかしガーディナーやスミスの事例のように、この規定は順守するより明らかに違反する場合の方が多い。スミスの例では、検分の際にハーネスを使用していればあのような重傷を負わずに済んだ。
  さらに皮肉なことが起きている。法違反により将来傷害を負う可能性のある労働者は、1995年障害者差別法(Disability Discrimination Act 1995)の修正で、現在より手厚く保護されることになる。事業者は障害者の就業機会を増やしたり、フレキシブルな作業形態を認めたり、リハビリや治療のための休憩時間を認めたりすることで障害者を継続的に雇用するための“合理的な”取り組みを確保しなければならないという新規定が2004年10月に施行された。
  この規定は、現在では大企業と同様に中小企業(SME)にも適用されている。障害者への支援は、英雇用年金省の作業計画雇用サービス・評価・カウンセリングチーム(Department of Work & Pensions Access to Work Scheme Employment Services Placing Assessment and Counseling Teams (PACTs))が担当している。
  それでも、現状についてガーディナーは次のように嘆いている。「会社の“無関心ぶり”の程度には憤慨させられる。わたしは事故当時は、課税面だけの理由で自営状態にあったが、それ以外の面ではそれまでの約5年間は被雇用者だった。しかしHSEが会社を訴追した後は、リハビリの機会も与えられず、再教育も提示されませんでした。わたしはPACTsに関するあらゆる情報を集め提示しましたが、会社側は無視しました。会社は妻に、いかなる支援もできないと伝えてきました。実際、会社は保険会社と結託し、寄与損失さえ持ち出した」
  結局ガーディナーは多少の補償金は得たが、次のようにコメントしている。「課税対象と返金義務対象について7年間、内国税歳入庁(Inland Revenue)ともやり合った。最後は会社の厚生年金受給の権利放棄に無理やりサインさせられた」
  現在は医療給付金と補償金で生活しているガーディナーは、再就職の可能性は乏しいと無理に納得させられている。「生活を成り立たせるためには、約19,000ポンドの年収が必要なのです」とガーディナーはいっている。
  彼は次のことでさらに苦しんでいる。「脊髄損傷者協会(Spinal Injuries' Association(SIA))で、障害や収入面でわたしと同様の問題を抱えている多くの人々に出会った。しかしそのような障害者の雇用を維持しようと真剣に取り組む企業の被雇用者にも会った。そのような企業はたとえば職場環境を整えたり、それが不可能な場合は、関連会社に就業の場がないか問い合わせたりしているのです。」
  スミスはイーストロンドンで同様の経験をしている。スミスは、「5年前の事故当時、会社と当局は双方とも責任を認めた。会社は最初の一年間給料を支給してくれたのですが、現在は支払いを拒否している。同僚が言うには、保険会社がストップをかけている。わたしが何らかの補償金を得るようなことがあれば、給付金を返金するようにとも言われた」とコメントしている。
  いずれの事例でも、企業は労働衛生サービスの紹介、リハビリテーションの機会付与、配置転換措置などは何も実施しようとしていない。
  このような状況に対処するのは難しいことだが不可能ではない。ガーディナーは現在収入を得られる仕事についていないが、次のように語っている。「この生活が合っている。現在週2日から4日間、SIAで基金募集担当のボランティアとして働いている。全国を巡り、競馬から資金集めの富くじ販売まであらゆるイベントのまとめ役を担っている。この仕事には、何らかのやりがいを実感している。日記には文字があふれ、必要以上に書くときもある。寝られるときに寝るようにするほどである。
  自活し、たいていはひとりの生活であるが、近所にすばらしい両親が住んでいる。またここワットフォードにはたくさんの友人がおり、ほとんどの週末は出かけて、人々と同様の普通のことをしている。たとえば、事故以来スキューバ・ダイビングをするようになった。
  事故によって人生の見方が変わりさえした。以前は収入を得る仕事のことばかり考えていたが、今ではそれ以上のことがあることに気づいている。麻痺障害を抱えている人々の中には事実を受け入れられる人も、そうでない人もいる。事実を理解し、先に進むにはしばらく時間がかかるのです」
スミスも考えは同じだ。事故以来増えてしまった体重を落とすために散歩したりジムに通ったり、また脳機能障害者の自立施設、ヘッドウェイ イーストロンドンセンターの慈善チェッカーの試合で優勝したりする合間に、スミスは次のように語ってくれた。「落ち込んでいました。事故の後、妹が病気になり亡くなった。酷いことでした。それでもどうにか持ちこたえられると思えるようになった。ヘッドウェイセンターに来るようになり、少し前向きになりった。この半年のあいだ、週に2回来ている。ここに来ると妻はしばらく休息できますし、わたしは、ここのおかげで大いに変わることができました」
  また、記者に語ることは以前は不可能であったとも付け加えている。そのことについて「よくやり遂げました」とスミスはいった。
  次にアダム・ランスレイの事例を見よう。ガーディナーやスミスとは異なり、アダムは収入の補償を得ている。アダムの事故による障害への対処法は、すべての人に期待を与える前向きな試みとなる。10歳の小学生のとき、アダムはパリで道路交通事故にあった。骨盤と股関節部を砕いたが、優秀なフランス医療のおかげで脚は残った。頭部傷害により、若干震えが残り、身体には大きな傷跡が残った。
  アダムはコメントしている。「それでも、もっともひどく傷ついたのは、メンタルヘルスであった。強迫神経症障害、慢性のうつ状態、食欲不振に陥った。想像以上に人間関係に不安を感じるようになってしまった。現在23歳ですが、女性とおつきあいできてもあまり症状は改善しないとは思うが、それでも以前よりはうきうきした気持ちになる」
  アダムは長いリハビリの間、無為に過ごしているわけではなかった。一生懸命自分に合ったクリエイティブな仕事を見つけようとしていた。「僕はまあまあの俳優でしかもプロとしての役割を2つほど任されていた。それでも一番満足感を得られたのは、作曲し、ギターを弾き、歌っているときでした。アコースティック・ロックからヘビー、ディープ・ロックまでありますよ。デモCDを作ったこともある。もう少し自信をつけて人前で歌えるようになったら、短期契約で出演しようと思っている」。
  彼は自分に誓いを立てている。「ずっと続けられたら、この状況から脱出できる。でも自分はラッキーだから作曲できると思う日もある。こう思えることが何よりうれしいことなのだ」
  ガーディナーやスミスと同様に、アダムも慈善事業が傷害患者へのリハビリや家族への厚生を支援していることを高く評価している。たとえば彼の母親は、神経科学医療の専門家が運営する脳・脊椎障害財団の電話情報提供サービスに相談している。ジムやフィジカルフィットネスの愛好者であるアダムは、慈善事業へのお返しとして10キロメートルランニング大会のスポンサーを募集することで同財団の募金活動を行っている。現在はマラソン大会にしようかと考えているという。
  しかし、重傷を負った個人の寡黙な勇気ある行動と、彼らへの支援に専念する慈善事業の献身を当然のことと思ってはいけない。実際は、HSEが指摘するようにいくつかの災害は防げなかったものの、事業者はできるだけのことをして災害防止に努めるべきである。
  ピーター・ガーディナーは次のように結論している。「災害を被っても、労働者はいつまでもひとりの人間であることを事業者は認識するべきである」

追加情報

  • ヘッドウェイ−脳機能障害者協会(Headway - the brain injury association)
      ウェブサイト:www.headway.org.uk
  • 脳・脊椎障害財団(Brain and Spine Foundation)
      ウェブサイト:www.brainandspine.org.uk
  • 脊髄損傷者協会(Spinal Injuries Association: SIA)
    ウェブサイト:www.spinal.co.uk
  • HSEウェブサイト:www.hse.gov.uk

*訳注 寄与損失---不法行為に基づく損害賠償請求訴訟にといて、原告にも損害の発生につき落ち度があったとする、被害の抗弁