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前向きの姿勢を後押しする
Accentuate the positive

(資料出所:National Safety Council発行「Today's Supervisor」 2005年12月号 p.1)
(仮訳 国際安全衛生センター)


安全文化はゆっくりとした継続的なプロセスによって変わる。具体的で到達可能な目標を持つこと--そして目標を実現するための明確な計画を持つこと--は、変化を促すためには不可欠である。経営陣は、傷害はすべて防ぐことができるという信念を社内に確立しなければならない。これを実現する一つの方法は、インセンティブ(報奨)プログラムを利用することである。
  理屈を言えば、安全に働くことの理由付けを労働者に与えれば、労働者は自分たちの行動をより注意深く監視するようになるはずである。それゆえ多くの企業では、無事故を表彰するために金銭的報奨、くじ、休暇を用意している。しかし、インセンティブプログラムに反対する人々は、こうしたプログラムが災害や傷害の過少報告を見逃すことになると主張する。実際にインセンティブを使っている事業者の間でも、プログラムの手ごたえはさまざまに異なっており、インセンティブによる安全実績の向上については事業者側にも混乱が生じている。
  インセンティブプログラムは、その定義上、ある目標の実現を前提としている。しかし、ほとんどの安全インセンティブプログラムには、行動面での規定がない。その代わりに、傷害を回避したことで労働者が受け取ることができる報奨が定められている。こうしたインセンティブプログラムは、正確な災害報告への意欲をそぎ、しばしばグループ単位で条件が課されるために、同僚間のプレッシャーを増大させる。
  イリノイ州デカルブにあるSCA Packaging社のジム・インガリーノ(Jim Ingallino)安全コーディネーターはいう。「[インセンティブは]過少報告につながるおそれがあります。特に問題なのは、後から遅れて報告することができなくなる点です」
  たとえば、労働者が負傷しても同僚たちがそれを隠したり、労働者たちがプレッシャーを感じて傷害記録を「操作」し、数字をごまかして賞を獲得する、といったことが起こるおそれがある。インセンティブプログラムは、経営陣が信じているのは安全ではなく、数字とOSHA記録であるという印象を与える可能性がある。
  インセンティブは、確固たる本当の安全文化の代わりにはならない。
  バージニア州ブラックスバーグにあるバージニア工科大学のE.スコット・ゲラー(E. Scott Geller)応用行動システムセンター局長はいう。「報奨は決して金銭であってはならず、安全にしていたからお金がもらえるということをインセンティブプログラムで印象付けるべきではありません。報奨は、単に高い評価が与えられたことのしるしでなければならず、物質的成果には還元できない有意義なものでなければなりません」。ゲラー局長は、インセンティブの使い方を誤ると、傷害報告が表に出てこなくなり、組織の安全に対する無関心と無力感を助長するおそれがあるという。
  ここ数年、事業者らは一致して「事故のない」職場の実現に取り組んでいる。統計の示すところによれば、ほとんどの災害は「不可抗力」ではなく、安全マネジメントシステムが機能しなかったために生じている。職場の安全を改善しようと思ったら、事業者は安全マネジメントシステムを変えなければならない。
  帽子やマグカップなどに安全メッセージをあしらった賞品は、従業員に絶えず安全第一の姿勢を思い起こさせる。従業員みずからこうした安全メッセージをデザインしたり書いたりすることができれば、賞品もいっそう意義あるものになるだろう。
  事業者は、どんなインセンティブを提供するべきか決める前に、プログラムを推進するためのプロセスを考える必要がある。その際、どんな行動を表彰するべきか、どんな目標を設定すべきかは、考慮しなければならない重要なことがらである。効果的なインセンティブ/報奨プログラムを作るには、次の6つの基本ルールを守る必要がある。

  1. 報奨を受けるのに必要な行動が具体的に示され、実現可能なものとして受け止められる必要がある。
  2. 行動の基準を満たすすべての労働者に報奨が与えられる必要がある。
  3. 豪華な賞を一人が受け取るより、ささやかな賞を多くの参加者が受け取る方がよい。
  4. 賞は人に見せることができ、何を達成したかがわかるものである必要がある。
  5. 一人が失敗しただけでグループ全体を罰してはならない。
  6. 報奨の獲得に至るまでの過程を系統的に監視し、これを公開する必要がある。

「インセンティブは、確固たる本当の安全文化の代わりにはならない」