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医療部門の労働安全衛生

Shengli Niu

資料出所:ILO/フィンランド労働衛生研究所発行
「Asian-Pacific Newsletter on Occupational Health and Safety」
2000年第3号(第7巻「Service sector」)
(仮訳 国際安全衛生センター)

原文はこちらからご覧いただけます
http://www.occuphealth.fi/e/info/asian/asindex.htm


はじめに

サービス部門のなかで医療産業は重要な役割を果たしている。すべての国で、いまや保健・医療サービスは雇用の大きな部分を占めている。業種別の被雇用者数でみると、医療部門はアメリカでは第3位、スウェーデンでは第4位、ノルウェーでは第5位に位置する。先進国のアメリカやスウェーデンなどでは、その被雇用者数は農業、鉱山、電気・ガス、運輸、通信といった従来型産業を上回る。

医療費支出は、先進国でも途上国でも急増している。世界全体では、1994年時点で約2兆3,300億ドル(世界のGDPの9%)に達し、世界経済の最大部門のひとつになっている。富める国と貧しい国とではなお大きな格差があるが、この40年間、GDPに占める医療費の割合は増加しつづけた。わずか数年のうちに医療費の対GDP比が3〜5%から8〜10%に増えた国もある。

医療労働者(health care workers: HCW)の数は、世界全体で3,500万人と推計されている。このうち、約1,850万人が医師と看護師である。人口当たりの医療労働者数は、国によって、また国内でも大きな差がある。世界的にみると、人口10万人当たりの医師の数は市場経済の先進国では250人を上まわるが、後発発展途上国(LDC)では14人で、ほぼ20倍の開きがある。途上国によくある問題として、医療労働者の数が地域的に偏在しており、医師と看護師が都市部に集中している。先進国の一部と旧社会主義国の大都市部では、医師の供給過剰という問題が予想され、また実際に過剰になっているが、後発を含めた多くの発展途上国では、あちこちで医師が不足している。

医療労働者とは、次のような人々を意味する。病院、薬局、救急および個人開業医などの医療サービス提供施設で働くすべての要員。保養地、リハビリ施設などの医療関連施設で働く要員。社会サービス施設で高齢者と障害者に医療援助を行う要員。医療部門の事務職員。教育および研究スタッフ、ならびに給食および保守スタッフである。医療労働者は、その技能と医療サービス提供の際の実際の役割に応じて、次の5つのカテゴリーに分類できる。医師。研究所の技術者や薬剤師など大学卒業レベルの専門家。看護師と助産師。療法士とソーシャル・ワーカー。その他として清掃担当者、事務職員、給食担当者、洗濯労働者、医療施設の建物と設備を補修する保守労働者など。

医療は労働集約型の産業であり、多種多様な業務がある。そのリスクや危険要因には全産業に共通するものもあるが、特定の医療労働者または業務に固有のものもある。注意すべきなのは、医療部門で働く人は一般に「医療サービス提供者」とみなされ、保護が必要な「労働者」とみなされることが少ない点である。病院に対する規制は、一般に患者を守るためのもので、医療提供者を守るためのものではない。その結果、医療労働者が直面する労働安全衛生の問題には、ほとんど注意が払われない。

医療労働者の労働安全衛生上のリスクが実際にどの程度かについて、国際的に利用できるデータは少ないが、業務上の疾病と負傷に関する統計データがいくつかの国で収集されている。たとえばアメリカの1995年の労働省の報告書によると、介護施設は建設現場と同程度に危険な職場であることがわかった。1993年の疾病と負傷を原因とする欠勤日数は、介護補助者と付き添い人が103,900日で、看護師は約46,400日だった。業務関連の負傷による病休日数がこれを上回るのは、トラック運転手(154,700日)と建設以外の肉体労働者(146,300日)だけだった。同報告書では、労働者一人当たりの業務上の負傷件数がもっとも高い業種は、木材の切り出しと屋根ふき、左官と板金労働者だった。働きすぎという点では医療部門では看護師が一番で、介護施設と個人開業医の看護師は1万人当たり363件の負傷が発生している。また転倒とスリップ事故も看護師が一番多く、1万人当たり96件の負傷が発生している。

オーストラリアの「病院および介護施設産業の労働安全衛生実績概観」(Hospital and Nursing Homes Industry Occupational Health and Safety Performance Overview)(1991年−1992年)によると、病院と介護施設の労働安全衛生の実績は、同国の全産業平均を大きく下回る。全体として、これらの産業の労働者の1,000人当たりの負傷件数は、全産業のそれより25%多い。また、医療産業のなかでは看護師の負傷と疾病の比率がもっとも高い。正看護師と準看護師を合わせると、医療産業の負傷と疾病件数の34%を占める。


業務上の危険要因

医療労働者は、職場できわめて多様かつ高度な危険要因に暴露される。これらの危険要因は、大きく次のカテゴリーに分類される。生物学的要因。化学的要因。物理的要因。エルゴノミクス的要因。組織的問題。心理的危険要因。医療労働者が職場で直面する、これらの危険要因を、以下に簡単に説明する。

生物学的危険要因

医療労働者は患者と直接に接しており、感染症が健康への大きな脅威になっている。結核、肝炎、風疹、HIV・エイズ、サイトメガロウィルス(CMV)は、医療労働者が日常業務で直面する脅威のほんの一部にすぎない。衛生状態の悪い病院があり、感染症も蔓延している途上国では患者からの感染リスクが高い。

HIV・エイズの蔓延と免疫プログラム後退の影響で、途上国の多くと一部の先進国でも、現在、結核の発生率が高まっている。複数薬剤に耐性をもつ結核菌の登場は、医療労働者にとって新たな脅威となっている。B型肝炎は血液を通じて感染するのが普通で、皮膚の傷から抵抗力の弱い人の体内に入る。注射針事故が原因となるケースが多い。研究所、人工腎臓透析施設、輸血センター、麻薬中毒診療所、歯科医院、性病診療所などで働く人に特有のリスクがある。風疹ウィルスに感染した患者との接触は、妊娠した医療労働者には深刻な影響を及ぼす恐れがある。逆に感染したスタッフは患者にとって脅威になり、産婦人科、小児科の場合はとくに深刻である。

HIV・エイズは、主に性的交渉と血液を通じて、また母親から子供に感染する。HIVに感染した医療労働者の大半は、職場外で、HIV感染者のパートナーや配偶者との性的交渉を通じて感染している。スタッフが標準的な感染防止手順を守っていれば、患者から感染するリスクは小さい。医療部門でもっとも多い感染原因は、注射針による負傷である。注射針事故のリスクがもっとも高いのは、看護スタッフ、とくに看護学生である。注射針事故によるHIV感染の防止は、とくにHIV感染の多い地域ではきわめて重要である。

化学的危険要因

医療労働者は、病院などの医療施設で使用される多種多様な化学物質に暴露される。具体的には麻酔用物質、消毒用物質、化学的滅菌用物質、薬剤、細胞増殖抑制用または実験用の試薬などがある。これらの物質のなかには、皮膚や呼吸器を刺激し、アレルギーを起こすものもある。またエチレンオキシド、ホルムアルデヒド、ヘキサクロロフェンなど、突然変異誘発物質、催奇形成物質、発がん性物質とされているものもある。職業性のアレルギー物質のうち、整形外科や歯科でのラテックス、アクリルおよびエポキシ化学物質、ホルムアルデヒドやクロム、コバルト、有機溶剤などの実験用化学物質は、皮膚炎の原因になる。動物性タンパク質や抗生物質、とくにペニシリングループはアレルギー性物質として有名で、喘息だけでなく、皮膚炎と結膜炎の原因になる場合がある。忘れてならないのは、いったんアレルギーが発症すると、暴露レベルを抑えて病気の悪化を防ぐのがきわめて困難になるということである。したがって、まず暴露を防止し、最低限に抑えることがきわめて重要になる。

物理的危険要因

医療労働者に対する身体的危険要因は、病院や診療所のいたるところにある。電離放射線、騒音、高温と低温、振動、電界と磁界などである。また、医療労働のエルゴノミクス的側面も検討する必要がある。

電離放射線は、レントゲンと放射線治療部門だけでなく、研究所、歯科施設、電子顕微鏡施設、それに看護病棟や手術室に働く労働者にとっても脅威になる。放射線は、医療においては診断と治療の両目的で使用されている。放射線の医学的利用では、放射性医薬品の調合と分析、介入放射線治療にかかわる業務が職業性暴露のリスクがもっとも高くなる傾向にある。手に対する暴露量が年間500ミリシーベルトの被ばく限度に達する場合もある。したがって、放射線防護対策を厳格に守り、スタッフを放射線源から適切に遮断して身体全体と四肢の被暴露量を可能なかぎり小さくすることが重要である。

騒音と振動が大きな問題になる医療施設は、歯科と整形外科である。高速で回転する歯科用タービンと外科用ドリルの騒音は、A特性で80〜90デシベルに達する場合があり、長期間、継続すると作業者の聴力を損なうおそれがある。

周囲温度の異常は、普通は医療労働者にとって大きな問題にはならない。しかし一部の途上国、それに特定の作業に従事する医療スタッフにとっては、異常な温度が健康を脅かす場合がある。高温と低温に暴露される労働者としては、手術室のスタッフ、ボイラー室の労働者、研究所の技術者とサービスおよび保守要員などがある。建物の設計と保守が劣悪な場合、室内の空気の質が低下するおそれがある。建物の換気に十分な注意を払い、「シックビルディング症候群」を防止する必要がある。また研究所、手術室などの特殊区域は、危険なガス、粉じん、蒸気などを抑制し、これを最低限に抑え、または管理する必要があるため、換気はとくに重要である。

エルゴノミクス的要因

医療労働者の負傷でもっとも多いのは、患者を扱う際に起こりがちな筋骨格系の負傷で、次がマニュアル・ハンドリングに関連した負傷だと思われる。患者の持ち上げは看護師にとって大きな苦労の種である。医療労働者にもっとも多く、もっとも医療費がかさむ負傷は腰痛である。看護師は筋骨格系の負傷のリスクが一番高い。その原因は、看護師をはじめとして医療労働者は持ち上げ作業を何度もこなさなければならず、ときには肉体的に無理な作業もあるためである。国立労働安全衛生研究所(NIOSH)の持ち上げ荷重の指針は、平均的な人にとっての安全な水準を55ポンド(約24.95キログラム)としている。医療施設の場合、患者は不安定で、いつも協力的とはかぎらないため、持ち上げるのがよりむずかしい。また成人患者の体重は、安全な持ち上げ水準の55ポンドを上回る。

長く立ったままでいたり、身体を折り曲げる、ひざまずくといった不自然な作業姿勢による負傷が多いのは、歯科医、耳鼻科医、外科医(とくにマイクロ外科)、産科医、婦人科医、それに手術室スタッフ、清掃担当者、病院の洗濯労働者などである。機械式のリフトなど、患者をベッドから車椅子に移し変えるための装置や、エルゴノミクス的に設計された業務用スペースが利用できるようになったため、多くの治療や措置での作業姿勢が大幅に改善した。しかし予期できない需要と過重な作業量、また資金的な制約のため、こうした技術の医療職場への導入が遅れている。

ストレス

仕事のストレスとは、業務上の要件が自分の能力、資質、またはニーズに合致しないときに起きる有害な肉体的、精神的反応と定義できる。主たる原因としては、過重な作業量、矛盾する、または曖昧な職責、雇用不安などがある。医療関係者、とくに看護師にストレスが多いことは、かなり以前から知られていた。研修段階の労働者の場合、重症者や死亡直前の人への対処はきわめてむずかしい。多くの病院労働者にとって、長時間労働、大きな責任、交替制勤務は生活の一部になっている。若い医師と看護師は、こうしたストレスを生む状況に直面する場合が多い。通常のレベルのストレスであれば障害には至らないが、強いストレスに長く暴露すると、長期的には健康に大きな悪影響が生じるおそれがある。不安感、攻撃性、無感動、倦怠感、いらつき、抑鬱感、疲労感といった健康上の影響、または事故を起こしやすくなる、喫煙する、酒を飲みすぎる、過食や不眠になるといった行動上の影響がでる場合がある。

暴力

抑鬱感をもつ人々と接触する労働者の場合、職場で暴力に直面するケースが多い。病気や痛み、加齢に伴なう問題、精神的障害、アルコールと薬物乱用から生じる欲求不満と怒りは、人々の行動に影響し、言葉と肉体による攻撃性を強める。医療労働者には職場の暴力の特別なリスクがある。救急部門や精神病院に勤務する医療スタッフは、とくに暴力のリスクが大きい。とくに女性の医療労働者は職場の暴力の被害を受けやすい。


医療部門の労働安全衛生改善に向けた戦略

医療部門は、他のサービス部門と同様、この数十年間に大きく変化した。社会のさまざまな側面に、経済的、社会的、政治的変化が新たな課題を突きつけている。高齢化などの人口統計学的変化、経済と貿易のグローバル化、技術の発展、医療費支出の急増があいまって、構造的な再調整が必要になっている。医療組織の変化、介護施設、デイケア・センター、訪問看護や在宅看護サービスの急増は、いずれも病院を基盤とした従来の医療サービス提供の方法に大きな影響を及ぼしている。これまで病院でしか受けられなかった入院治療の多くは、いまでは歩行可能者治療として日常的に提供されている。医療サービスの民営化と管理医療は、医療労働者の安全衛生と労働条件にきわめて大きな影響を及ぼしている。

残念ながら医療労働者が職場で直面するリスクについては、統計データを収集する体制が遅れている。医療部門での負傷と疾病に関する情報は限られている。保健と医学の専門知識をもつ医療労働者は、自分を守る能力があるとみられることが多い。その結果、事業者と医療労働者は労働安全衛生にほとんど注意を払わないのが普通になっている。したがって、事業者と医療労働者の双方に、医療部門の労働安全衛生プログラムの重要性を認識させる特別な活動が必要になる。

医療労働者の労働安全衛生の条件は、雇用条件、その地位と提供される社会的保護、そして医療提供システムとその財源に密接に関係していることを忘れてはならない。これらの面の多くは、ILO第149号「看護職員の雇用、労働条件及び生活状態に関する条約」と同第157号勧告(1977年)の対象となっており、労働衛生の確保が定められている。これらの条約は、看護労働の特殊性をふまえた労働安全衛生の法律と規則を制定し、看護職員に労働衛生サービスへのアクセスを保証する必要があると明記している。

医療労働者の労働安全衛生問題を解決するため、各国は医療産業を対象とした国内政策と戦略を策定し、医療労働者向けの労働衛生サービスを確立するよう求められている。労働安全衛生プログラムの実行を開始すべきであり、その内容は予防を重視するとともに、労働者の身体的、精神的健康をふまえ、その能力に業務を適合させるのに役立つものにすべきである。

ILO第155号「職業上の安全衛生および作業環境に関する条約」と同第164号勧告(1981年)は、労働安全衛生に関する国内政策を決定するよう規定し、全国と企業レベルでの労働安全衛生の促進、労働環境改善のために必要な活動を示している。ILO第161号「労働衛生機関に関する条約」と同第171号勧告(1985年)は、労働衛生に対する包括的アプローチを規定している。各国は、全労働者のための労働衛生サービスを段階的に確立する政策を決定するよう求められている。そこには医療労働者も含まれており、その特有のリスクを考慮しなければならない。

国民経済のなかでの医療産業の重要性をふまえ、今こそ、医療産業での労働安全衛生のあり方を全国レベルで検証すべきときである。その際、医療労働者の負傷と疾病に関する統計、医療部門の労働安全衛生のために実施されている管理対策と現行方針の有効性も検討すべきである。

政府は、職場の危険要因と、これを制御する適切な解決策についての情報センターになれるはずである。ILOの国際安全衛生情報センター(CIS)は、その世界的ネットワークを通じて各国の担当機関と密接に連絡をとり、加盟国が蓄積した労働安全衛生に関する知識と経験を収集する体制をとっている。医療労働者の労働安全衛生に関する体系的な政策と規則の策定に、CISの業務はおおいに役立つ。事業者は、CISまたはそのネットワークを通じ、医療労働者向けの労働衛生サービス確立のための有用な情報を得ることができる。

医療労働者向けの労働衛生サービスを確立するうえで、以下の機能が必要と考えられる。

  • 危険要因とリスクの評価。危険要因の把握は、個別の恒久的または一時的職場で定期的に行うべきである。評価対象は、危険要因と暴露およびリスクの程度に関する情報である。リスクと危険要因の評価を改善するため、その定期的検証が重要である。新たな危険発生源が導入された場合、労働者がそれに暴露する前に評価を行うべきである。
  • 労働環境と作業慣行のなかで医療労働者の健康に影響する可能性のある要因の調査。労働環境の調査は、衛生施設、売店、これらの施設が入った事業者所有の建物を対象にすべきである。
  • 職場の設計を含む業務の立案と組織化への参加。機械などの設備の選択、保守、条件、および業務に使用する物質についての助言。
  • 業務上の負傷と疾病の分析、作業方法改善のためのプログラム策定、新設備の健康面の試験と評価を、事業者と労働者とで進めること。
  • 労働安全衛生と清潔保持、エルゴノミクス、個人用保護具に関する集団および個人レベルでの専門家によるコンサルティング・サービスと技術的助言。
  • 労働者の健康調査、職場の健康促進、予防サービス、救急体制、職業性疾病の治療、職務上のリハビリを含む労働衛生サービスの提供。

労働衛生サービスは、労働者の健康保持に焦点を当てるべきである。労働衛生サービスは、労働者の労働能力向上、情報提供、研修と教育、研究などの活動でも重要な役割を果たしうる。ILOは、労働衛生サービスの目的を達成することの方が、そのための行政規則を順守することより重要だと考えている。

結論として、関連する国内法と規則に従って、すべての医療労働者に健康で安全な職場を提供し、危険要因とリスクへの医療労働者への暴露を排除または最低限に抑え、その安全と健康を守るような作業方法を組織することは、事業者の責任である。そして医療部門の安全衛生問題を対象としたプログラム成功のカギは、医療労働者の参加と積極的関与にある。

Dr. Shengli Niu
労働衛生専門家(ILO)