欧米先進国より1世紀以上も遅れて、近代化の道を歩み始めた日本は、「富国強兵・殖産興業」をスローガンに明治政府の強力な指導のもとに資本主義化を進め、きわめて短期間に近代産業国家に生まれ変わった。その明治の近代産業を担ったのは、繊維産業、鉱業、鉄鋼業などである。
しかしながら現場に目を向けると、鉱山では大規模なガス炭じん爆発が相次ぎ、繊維産業では、農村出身の女工が、粗末極まる寄宿舎生活と深夜業を常態とする長時間労働という苛酷な労働条件のもとでの生活を強いられた。結核の罹患も増え、郷里に帰された罹患者から農村に広まり、やがて「国民病」となり、国家的な問題に発展する。一方、明治15年頃から国も労働者保護の動きをみせ、明治44年工場法が公布された。
明治後期に始まった労働者保護の動きは、大正時代に入り大正デモクラシーと軌を一にして安全衛生にかかわる民間の運動として芽生えてくる。安全衛生運動の先覚者は、自由を求める時代の中で生まれた。
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鉱山で大規模な爆発事故が相次ぐ。繊維業では苛酷な労働条件のもとで、女工の結核罹患者が増加する。 | ||||||||||||||||||
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