令和7年度 年末年始無災害運動によせて
私が労働基準監督官に任官し、研修と雑用に明け暮れて迎えた初めての年末のことです。土曜の午後、深夜からの雨で増水した用水路に、様子を見に行った作業員が落ちてなくなる死亡事故が発生しました。月曜日に私が出勤すると、すでに災害調査はすべて終了していました。先輩のSさんを含む署の管理職の方が土・日出勤し、現場検証及び関係者の聴き取りを終えていたのです。
その日の午後5時過ぎ、私が事務所を出ようとすると、Sさんはまた別の案件で仕事をしていました。私が尋ねるとSさんは「X社が賃金不払いで倒産した事案で、賃確(未払い給与の国からの立替払い)の書類を仕上げなきゃならないんだ。今日は残業だ。」と答えました。私は驚いて尋ねました。「内部基準ではまだ1ヶ月以上先の支払日ではありませんか?」。Sさんは答えました。「でも、年内に払ってやりたいんだ。明日までに書類を挙げなければ間に合わない。給料がないって大変なことだよ。」 Sさんの話を聞いて少し迷いましたが、私も手伝うと申し出ました。気の利かない新人の申し出にSさんは少し驚いたようでした。
それから20年後、私は労働基準監督署の末端の管理職となっていました。年末恒例の公共事業発注者パトロールで、道路工事現場を1日中歩き回った日のことです。午後5時少し前に監督署に帰ったところ、ある鉄道会社の安全担当者Tさんが来署されていました。Tさんは安全に非常に熱心で、私が尊敬している人物です。Tさんはこれから、年末年始の人出に対応するために行われる地下鉄の深夜工事の安全パトロールに向かうところだと言いました。「年末に深夜工事とは大変ですね。」と話すと、彼は力強く答えました。「年末年始をみなさんが安全に過ごせるように、今工事をするんです。安全のための工事で、事故を出したら工事をやる意味がなくなります。」
「Tさんは良いことを言う」と思い自分のデスクに戻ると、その日の午前に提出された賃確の申請書が積まれていました。私は思わずため息をつき、「来年回し…」と一瞬思いましたが、脳裏にSさんの顔が浮かびました。そして先ほどのTさんの言葉も頭に残っていました。
積まれた書類に手をとり、「終電までに終わるかな」なんて思いながら目を通し始めたところ、新人のM君がやってきました。今日は忘年会があるらしく、帰り支度をしていた彼が、「何しているんですか?」と声を掛けてきました。「年内に未払賃金の立替払いをしたいんだ」と私が答えると、M君はしばらく迷ったようでしたが、やがて「なにか手伝うことはないですか」と尋ねてきました。「今日は同期の忘年会だろ。いいよ」と私は断りましたが、M君は言いました。「2次会に顔を出せればいいんです。その方が私もいいから手伝います。」机に座り作業をするM君を見つめながら、私は再びSさんのことを思い出しました。
仕事が一段落し、M君と分かれた後、私は終電間際の電車に乗ろうと地下鉄の駅に急ぎました。その道すがら、工事現場を見守るTさんの姿を見つけたのです。Tさんは若い部下を連れて安全パトロールを行っていました。私は思わず声をかけました。 「ご安全に!」Tさんは振り返り、私だと気づくと、力強く「ご安全に!」と返してきました。私は昼間聞いた彼の言葉を、口にしました。「事故を起こすと、工事の意味がなくなります」。Tさんは深くうなづきました。そのやり取りを、隣にいた若い社員がじっと見ていました。私は、何か楽しくなりました。
労働基準監督署を退職してもう10年になりますが、今でも年末になると、SさんやTさん、M君のことを思い出します。Tさんはもう退職されただろうと思いますが、彼の後輩たちは、今年の年末年始にも、働く人々の安全を守るために尽力されていることでしょう。
今年の年末年始無災害運動標語は「『年末』感謝の総点検 『年始』も笑顔で 無事故の発進」です。年末に頑張ってくださっているたくさんの方々に感謝いたします。そして、みんなが笑顔で新年を迎えられるように願います。
令和7年12月
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